離婚・介護・子宮全摘出…その先に見えた希望【それぞれの更年期】
閉経前後で心や体が大きく変化する「更年期」。
英語では更年期を「The change of life」と表現します。その言葉通り、また新たなステージへ進むこの時期をどう過ごしていったらいいのか—。
聞き手にキュレーターの石田紀佳さんを迎え、さまざまな女性が歩んだ「それぞれの更年期」のエピソードを伺います。
今回お話を伺ったのは・・・
美喜子さん
1961年生まれ。1990年から2007年まで佐渡島在住。染色の仕事、ペンション運営などを行
う。結婚、出産を経て離婚。現在は、NPO法人コンポスト東京代表理事、『原宿はらっぱファーム』プロジェクトリーダーとして活動。
離婚、介護、子宮全摘出
「昭和のがんばり女子の代表みたいでした」という美喜子さん。
17年間、夫と娘と3人で暮らした佐渡島では、染色家、中学校の心の教室相談員、クラフト市の代表、そしてペンションの経営もしていた。
離婚を機に娘と千葉に帰ったのは2007年46歳のころ。
「母が早く亡くなったので、父は千葉で一人暮らしをしていました。海上自衛官だった父とは折り合いが悪かったのですが、このままだとすごく後悔すると思って、連絡しようとしていた矢先に、父が倒れ入院。そのまま半年くらい介護をしました」
その後、48歳のときに子宮を全摘出する。
「子宮筋腫だったのですが、自分で作ったものなので、自分で治せると思っていました。でもあまりに月経時の出血が多かったので、西洋医療と代替療法をしている病院に行きました。ヘモグロビンの数値がとても低く、筋腫が100個もできていました」
手術に当たってホルモン剤治療を受ける。
「これがホットフラッシュかあ、と更年期障害の症状を経験しました。でも精神的にはまったく大丈夫どころか、病院が居心地よくて退院したくなかったくらい(笑)」
理由は、なんと主治医に恋心を抱いたから!
手術にともなう治療もまったく苦痛ではなかったという。心配してお見舞いに来た友人たちも美喜子さんの笑顔に驚くというか呆れるというか……。
術後、脊髄麻酔が原因で左半身が痺れてきた際、麻酔がない状態にもかかわらず、「ドーパミンでも出ていたのか、あまり痛くなく」、看護師や主治医に驚かれた。
「もう離婚していたので、恋愛は自由。その先生が毎朝毎晩会いに来てくれる、単に診察なのですが、それだけで幸せだったんです。本当におめでたい性格なんです」
仲良し家族。だけど、夫婦は続けられない
「子宮を摘出したのは、離婚後でしたが、元夫が見届けてくれました。これはお互いにとって本当に良かったと思っています。これで区切りがつきました」
憎しみあって別れたわけではないし、今でもすごく尊敬しているという。
「離婚後気付いたけれど、彼は私のコーチングやコンサルをしていてくれたんだと思います。(ミュージシャンの)夫は仕事もあって留守にすることが多かったのですが、娘と3人、仲良し家族でした。
それでも男女という関係にはどうしても戻れず、2人の間では恋人を作ることも認め合うことにしていました」
実は娘が9歳のときに2人は離婚を決めていた。
「そのことを娘に伝えると、娘は一瞬かたまり、その後何事もなかったように遊びはじめたんです。その様子を見て私たちは、まだ離婚するときではないと悟りました」
それから7年の歳月を3人家族として過ごした。然るべき時がやってきたのか、経営していたペンションの建物が耐震構造問題で使えなくなった。
中学3年生になった娘は、佐渡ではなく、両親の母校である千葉の高校を選んだ。
「彼女に付き添って私も佐渡から出ることを決めましたが、思春期の娘には辛い思いをさせてしまいました」
千葉に帰ってから離婚をした。後悔はしていないが、美喜子さんは今でも、どうして離婚を選んだのか、娘ともっとそのプロセスをシェアできていたらと思っている。
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