「幽霊でもいいから会いに来ておくれよ」
神野三鈴さんエッセイ
もう何年前になるだろうか。
お盆に近所のスーパーで簡単な藁細工で出来た精霊馬と牛のセットを手に入れた。
馬には僅かなたてがみらしき藁が、牛には頭に角なのか太めの藁が一本付い
ているだけ。ほとんど同じ形だ。
粗末な代物だが素朴さが気に入り、ナン百円かで手に入れた。
毎年お盆にきちんと儀式をしている訳ではない。せいぜい両親の好きだった物を少し多めに写真の前に供えるくらいの親不孝者だ。
でも、胡瓜の馬や茄子の牛を飾る由来のお話は私の一番のお気に入りだ。
母から教わったのは、あの世にいる人が少しでも早く帰って来られるように
足の速い馬で迎え、戻っていく時はこの世の時間をゆっくり味わいながら、沢山お土産を持って帰れるように歩みが遅く力持ちの牛で送るのだと。
亡くなった人に会いたくてたまらない気持ちや、帰ってきたら出来る限りのことをしてあげたい思いが伝わってくる。
牛馬にその願いを託しているのも、昔は彼らが身近な存在だったことが汲み
取れる。もちろん幸せな思い出ばかりじゃない、思いを残す別れも。
でも、もう一度会えたなら、との想いは今も昔も変わらないだろう。
母の日に、父と母の新婚旅行の写真に「会いたいです」と一言添えてSNS
にあげたことがある。沢山の方から「私も両親に会いたい」とメッセージが届いた。
お孫さんがいるという70代のご婦人からは「今も時々答えがわからない時、心の中で、お母さん、どうしたらいいかな? と母に相談しています」
とあって、涙がこぼれた。
20代の頃に大好きだった映画で、山田太一さん原作、大林宣彦監督の『異人たちとの夏』という作品がある。
幼い頃に両親を亡くし、中年になって離婚して人生に光を感じられなくなった孤独な男。
ある日、亡くなったはずの両親と出会い、ひと夏の時間を一緒に過ごす。
亡くなった時の、今の自分と同じ年齢の親と。
同時にやはり孤独な一人の女性との関係も絡み合い、物語は予期せぬ結末を迎える。
怪談のような非現実的な話だが、昔から異界との境界線が自然に暮らしの中に溶け込んでいる日本人だからだろうか、すんなりと作品の世界に誘われた。
この作品は2024年にイギリス人のアンドリュー・ヘイ監督によって『All of Us Strangers』というタイトルでリメイクもされている。こちらは異界の人々と出会うまでの序奏をかなり慎重に時間をかけて描いたように思う。
でも民族に関係なく深く人間を見つめた素晴らしい作品になっていた。
主人公は同性愛者の男性。
現実の世界で出会う相手は、やはりクイア※であることを家族に受け入れてもらえない孤独な青年になっていた。
何よりオリジナルより重きを置いて描かれているのは、あんなに会いたくて愛を乞うた両親が、自分の事も子どもも、どう愛したらいいのかわからず、悩みを抱えていた、自分と同じ不完全な一人の人間であったということ。
同じ歳の親との会話は、残酷でありながらも、皆なんて不器用なのだろうと魂が触れ合うような感覚にもなる。
そして私達はお互いに影響し合わずには生きていけないのだと。
タイトルを訳すと「私達は皆知らない者同士」となる。だからこそ関わり合っていく勇気が、自分も人も許す勇気が必要なのかもしれない。
私達は生まれた時から「孤独」を持っていて、それを手放す秘密を学ぶために、傷ついても傷つけても人と関わっていくのだろうか。
そう思うと小さい頃に両親と辛い別れをした私の父が、立派な父親になるのは難しかったのかもしれない。
よく暴れていたのはどうしたらいいか愛し方すらわからなかったのかな。
しかし父の事だから、馬を迎えに出したら、そのまま競馬場へ一直線かもしれないな、と想像しながら笑っている私がいる。
実は母や猫や犬達に、いつでもいいから帰ってきて欲しくて、あの藁の馬と牛を燃やせず365日、写真たての横にスタンバイさせている。
幽霊でもいいから、会いに来ておくれよ。
※ 特定のセクシュアルマイノリティだけでなく、そのどれにも分類ができない人々やその状態、関係性や生き方、態度などを表す概念。
いなくなった人に思いを馳せる。
彼らの姿がまた鮮やかに甦えり、私の中でこれからも生き続けていく。
こんなにも愛おしいなら、今、命あるものを命ある限り、もっと愛することができますようにと祈るのだ。
新婚旅行に旅立つ幸せそうな父と母。
その後の苦労も今なら少しは相談に乗れたのに。若いのによく頑張ったよ。23歳で旅立ったイチは私の命の恩猫だ。
イチが馬の背に乗って帰ってくる姿を想像してはニヤけている。
MISUZU KANNO
神奈川県鎌倉市出身。第47回紀伊國屋演劇賞個人賞、第27回読売演劇大賞最優秀女優賞を受賞。代表作は舞台『メアリー・ステュアート』『組曲虐殺』、映画『37セカンズ』、ドラマ『あんぱん』など。映画『TOKYOタクシー』が11月21日公開予定。
文/神野三鈴 撮影/枦木功[nomadica] スタイリング/田口慧 ヘアメイク/奈良井由美
大人のおしゃれ手帖2025年9月号より抜粋
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