【50代からの生き方】江戸時代に学ぶ「多様な私」の育て方
「江戸の人々は、自分探しなどおこなわない。自分を次々とつくり出しながら、才能を分岐させていくのだ。自分を探すのではなく、創っていくのである。」
田中優子さんが共著で書かれた『江戸とアバター』(朝日新書)の一節です。
「自分探し」という言葉とともに、何者かにならねばと努力してきた私たち。就職、キャリア形成、結婚、出産、子育て……さまざまな節目を経て、いま、もう一度「これからの自分」と向き合う50代へ。
そんな私たちの生き方のヒントを、江戸時代の人びとから学べるかもしれません。
むしろ制限の多い時代に、いくつもの顔をもち、軽やかに生きた人々。
その背景にはどんなコミュニティがあったのか。
江戸文化研究家の田中優子さんに、江戸の人々に学ぶ〝多様な生き方〟について伺いました。
お話を伺ったのは・・・
イシス編集学校・学長
田中優子さん
1952年、横浜市生まれ。法政大学大学院博士課程(日本文学専攻)修了後、法政大学社会学部教授、学部長、法政大学総長を歴任。専門は日本近世文化・アジア比較文化。『江戸の想像力』(ちくま文庫)で芸術選奨文部大臣新人賞、『江戸百夢』(朝日新聞社、ちくま文庫)で芸術選奨文部科学大臣賞、サントリー学芸賞受賞。2005年、紫綬褒章受賞。朝日新聞書評委員、毎日新聞書評委員などを歴任。「サンデーモーニング」(TBS)のコメンテーターなども務める。江戸時代の価値観、視点、持続可能社会のシステムから、現代の問題に言及することも多い。現在は、松岡正剛氏が立ち上げたイシス編集学校の学長を務める。
制限があるからこそ、「たくさんの私」が生まれる
― ご著書『江戸とアバター』では、平賀源内をはじめ、武士でありながら発明家や戯作者など、多面的に生きた人びとが登場します。身分制度の厳しい時代にあっての自由な生き方に驚きました。
田中優子さん(以下、田中)むしろ「制限がきつかったから」なんです。武士は家制度の中でがんじがらめ。将軍や大名は一見裕福だけれど、彼らには彼らの重圧がある。中下級武士になればなおさらで、限られた収入で、家を支え、家名を守り、後継を確保しなければならなかったわけです。そんな彼らに「生きている実感」をくれるものは何か。それが狂歌や戯作といった表現だったと思うんです。狂歌を作ったり、戯作を書いたり、俳諧の座に加わったり─そうやって、ちょっとだけ家や役割の外に出ることで息をしていた。「たくさんの私」は、実は苦しさの中から生まれているんです。制限があるからこそ、ほんの少し外れることに救いを見出したんですね。
― その〝外れる場〟として、江戸時代には「連れん」と呼ばれるコミュニティがあったのですね。どんな場所だったのでしょうか?
田中 身分に関係なく、同じ趣味や目的を持つ人が集まる、本当に軽やかな場だったようです。誰かが「狂歌やろうよ」と言えば、「じゃあ行く行く」と集まる。歩いて行ける距離の人たちが、湯屋帰りにふらりと寄って句を出し合う。会則も会費もなく、いやになったらやめていい(笑)。でも不思議と、そんな〝ゆるさ〟が創造を呼び起こすんです。俳諧の座では、誰かの五・七・五に、別の人が七・七をつなぐ。相手の感性を受け取り、少しだけ自分をずらして応じる。そのリズムの中で、固定された「自分」ではなく、「今ここで関わる私」が生まれてくるんです。
― 目的よりも、やりとりそのものが中心なんですね。
田中 そう。だから面白いし、続く。江戸の出版社がそのやりとりを本にしたのは後の話で、本人たちは出版なんて考えてもいなかった。自分たちが「面白がるため」にやっていたんです。現代の私たちは「成果を出す」ことを目的にしがちだけど、江戸の人たちは「楽しむ」ことの中にこそ生きる力を見つけていたんじゃないかしら。
― 「ないからできない」じゃなくて、「3人集まればそれで連になる」って思えますね。
田中 そう、それだけのことなんですよ。目的は読書でも手芸でもなんでもいい。始めてみたら、そこから別のことがスピンアウトしていくかもしれない。狂歌連から咄はなしの会が生まれ、それが落語につながっていったように。
「全身全霊」の生き方は、ほんの一時代の錯覚
― 私たちは長い間、「一つの会社で」「一つの役割で」生きるのが正しいと教えられてきました。でも今、それが崩れて迷う人も多いです。
田中 「一つの場所にいれば安心」なんていう時代の方が特殊なんですよ。それって戦後の一時期だけ。それを「人間の生き方の標準」みたいに思いこんでしまった。江戸の人々は、もともと安泰な場所なんて持っていません。だから、仕事を掛け持ちし、祭りに関わり、句会に出入りし、複数の場を行き来して生きていた。一つの世界で閉じていないから、いつでも「別の私」に出会えるんです。
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