【50代からの生き方】江戸時代に学ぶ「多様な私」の育て方
「たくさんの私」に気づくと、人に優しくなれる

― 先生の「たくさんの私」という考え方、とても印象的です。
田中 私も昔は「自分を固めなきゃ」と思ってたんですよ。近代的自我って言葉がもてはやされた時代ですから。でも、そんな時に小説家の石川淳が江戸の発想法について書いたエッセイに出合った。その中で江戸の人たちは、「私はこれ」と決めつけていなかったんですね。それがすごく大きな衝撃となって、江戸文化を研究するようになったんです。
― 「自分探し」というより、「自分はそもそもない」と。
田中 そうなんです。「自分」という完成品は、最初からどこにもない。私たちは、この世界に生まれて、家族や本、仕事、人との関わりなどからいろんなものを受け取り、それを子どもの頃からずっと「編集」してきている。
その積み重ねが、今ここにいる「私」に見えているだけです。それを、社会や組織の側が「固めなさい」と言う。「あなたは何者として生きるのか」「夢は何か」「目標は何か」。それは、扱いやすい個体をつくるためには都合がいいかもしれない。でも、人間の実態とは違いますよね。
― 本来、全ての人が頭の中を「編集」する力を持っていると。そして、先生が務めるイシス編集学校ではその稽古をしていますね。
田中 そうです。最初のテーマ稽古のひとつがまさに「たくさんの私」なんです。イシス編集学校では「私は〜」を30個以上書いてもらう稽古をします。例えば、「私は母親」「私は仕事をしている」「私は長女である」……次々に出していくと、途中でタネが尽きてくる。そこから先は、今までの「私」の枠からはみ出さないと書けない。すると、主語より「述語」、つまり何を感じ、何をしているかのほうが大事になってくる。やってみると、「あ、こんなこと考えていたんだ」「こういう私もいたんだ」と、自分で驚く言葉が出てくる。
どこから出てきたかといえば、自分の頭の中です。つまり、ふだん「これが私」と信じているのは、たくさんある可能性のごく一部に過ぎないとわかる。それがわかると、他人にも「たくさんの私」がいると信じられるようになるんです。仕事場でも、「あの人はこういう人だ」で終わらず、「別の私も持っているはず」と、柔軟に思えるようになるんです。
つかず離れずの距離感と、「結論を出さない」技術
― コロナ禍以降、人との関わり方にぎこちなさが生まれ、「他者が何を考えているかわからない」と身構えてしまうことも増えました。
田中 江戸の人はそんなに構えないですね。道ですれ違って「今日は寒いね」から始める。長屋では井戸、風呂屋、道端、縁側などの「半分は外」の空間で、自然に言葉が交わされていました。誰も「人間関係をつくろう」と力まない。
その代わり、よく観察していたのだと思います。相手のちょっとした言葉や表情から、「この人は今こう感じているのかな」と想像してみる。特に、俳諧の連句は、その観察と想像ができなければ続かない遊び。五・七・五に対して、相手の視点にふっと乗り移って七・七をつける。その繊細な間合いが、人間関係の感覚を育てていたんですね。
私は「つかず離れず」という言葉が好きです。近づきすぎると絡まりすぎて動けなくなるし、離れすぎると関係が切れてしまう。その中間のゆらぎを保つことが、創造的な空間を生むと思うんです。
50代は「自分を編集し直す」タイミング
― みんな本当は、何者かになる以前に、それぞれ創造的なんですよね。
田中 そう。特別な作家じゃなくていい。自分の仕事や生活の中で、ちょっと別のやり方を試してみるだけでも、人は十分クリエイティブなんです。
― 先生のお話を聞いていると、50代からこそ、もう一度「自分を編集し直す」タイミングなのだと感じます。
田中 本当に、そう思います。私自身、73歳の今もまだ自分を編集していますから(笑)。「これが私」と決めてしまうと、そこで世界が狭くなる。江戸のクリエイターたちは、厳しい制限の中でも、次々と「次の私」を立ち上げていった。あちこちの連に顔を出し、役割や名前を変えながら生きていた。今の私たちも同じように、いくつもの場を行き来しながら、自分をもう一度ひらいていけばいい。家と職場だけでなく、本の会でも、ご近所の小さな集まりでも、オンラインの学び場でもいい。金銭や肩書から少し離れたところで、自分を編集し直してみる。その過程そのものが、生きることだと、私は思うんです。
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