【神野三鈴さん】
連載 「おとなりさんが観音様?」
七夕が近づいてくると鎌倉の神社の境内に、いくつもの梶の葉をぶら下げた笹の枝が祀られる。
大打ち掛けを羽織った後姿のような、クリオネのような形をしたその葉のそれぞれには人々のささやかな(時には大きな)願いごとが書かれていて、風に揺れるその姿は人間の夢の精のようにも見えてくる。
我々の先祖は、七夕に織姫と彦星の願いが叶うなら、ぜひ私どもの願いも叶えてくださいといじらしくてもたくましく始めたのかな。
神社仏閣で神様にお参りするときは、私利私欲はねだらず、祀られている神様のご繁栄と生かされている感謝をお伝えするようにと教わってきましたが…。
しかし、煩悩の塊の私にはすがる存在が必要なわけで。それも年に一度ではなく年がら年中。そんな弱い人間どもを優しく迎え入れ、どんな小さな悩みでも大きな欲望でも受け止めてくれる強い味方がいらっしゃるのです。
それはジェンダレスでおしゃれ好きな我らが「観音様」!。
今回は私が敬い思慕してやまない、ここ鎌倉・長谷の古刹長谷寺の観音様のお話です。
弁財天様は芸事の神様として信仰されているインドの河の化身の女神様が由来。せせらぎが音楽の源。また音の流れが言葉などに繋がり、芸全体の神様になっていった。
奈良時代に近江の国(今の滋賀県)で巨木の楠が倒れて人々を困らせていたそう。二人の彫師がその巨木から二体の観音様をつくり、一体は奈良の長谷寺へ。もう一体は「縁がある場所で人々を救済するべし」と海に流された。
そして何年もかけて三浦半島の浜に辿り着き、後に鎌倉に長谷寺が創られ安置されたそう。
信仰に限らず物事にはいろんな「物語」があるけれど、いくつもの戦争や災害を生き抜き、今日、たくさんの人々が引きも切らず訪れて手を合わせている姿を見ると、人々が語りついでいく時の中で「真実」になっていくものもあるなと感じる。
厄介者から観音様に姿を変え、一人? で何年も海の上を漂い、どんな気持ちで星空をながめていらしたのだろうと私の想像は止まらなくなる。妙に人間味を感じるのは、長谷寺にある「観音ミュージアム」でみられる観音様のイラストのほっこり具合にも影響されているのかもしれないけど。
このミュージアムが小さいながら秀逸で。長谷寺の歴史はもちろんのこと、観音様が人々を救済するために変身して現れたという個性豊かな様々な姿の像が三十三応現身像として展示されている。
カメレオン俳優どころの変身ではない。老若男女、国籍も越え、鳥や鬼までも!
訪れた者をずらっと囲むように、至近距離で並ぶ姿の迫力に初めて訪れたときはたじろいだ。
長谷寺の住職さんに伺ったのだが、この現世は私たちの魂にとって修行の場で、願いや祈りはその人の今生の宿題みたいなもの。それに優劣をつけず、助けてくださるのが観音様だと。三十三体の像に囲まれていると、何だかそれぞれが自分の知人の姿に重なってくる。
お腹のつき出たあの破顔のおやじはあいつだ…とか、鬼のように思っていたあの人も、食事で食べた鳥もすべて観音様の化身だったのかもしれない。
考えてみれば私たちも日々、いろんな役を演じている。母や娘、妻や上司、部下、友だちと様々。上手く出来ず悩んでいても、あなたも誰かにとって観音様の化身なのかもしれない。目の前の悩みの種のあの人も、自分の宿題の先生なのか? なんて。
そういえば私の今生選んだ俳優という仕事は他者の人生を生き、人の業や悲しみ、喜び、忘れられた人々の人生を皆様に観ていただいてお金を頂載している。他者の人生の中に自分を写したり、しばし物語の中に入って、浮世のしがらみを忘れたりと気晴らしになるならこの身を使ってお役に立ちたい。そして出来れば、演じた役の人生も生き切ることで昇華してあげられたら…。
そのためにはもっともっと精進しなくてはと、長谷寺境内にある弁天窟に潜り込み、弁財天様に芸向上をお願いします! とどこまでも神頼みの私です。
でも確かなのはこのエッセイを読んでくださるあなた、芝居に叱咤激励を送ってくださるあなたは、間違いなく私の観音様です。
”ありがとう。”
MISUZU KANNO
鎌倉市出身。第47回紀伊國屋演劇賞 個人賞、第27回読売演劇大賞最優秀女優賞を受賞。代表作は舞台『メアリー・ステュアート』『組曲虐殺』、映画『37セカンズ』など。7月からはドラマ『À Table!~ノスタルジックな休日~』(BS松竹東急)、『ブラックペアンシーズン2』(TBS)、映画『大いなる不在』がスタート。
文/神野三鈴 撮影/枦木功[nomadica] スタイリング/平井律子 ヘアメイク/奈良井 由美 協力/鎌倉・長谷寺
大人のおしゃれ手帖2024年8月号より抜粋
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