南果歩さん I am Here!
〜米寿の母〜
7月、久しぶりに親族の集まりがありました。
コロナ禍ということもあり、2020年の春からは、お正月もお盆も親族では集えず、今までの親族会とは打って変わって、母と私たち姉妹だけで小さな誕生日会や母の日会を開いていました。
極力大勢で集まることを避けてきたのですが、家族で集うことを何より楽しみにしている、今年88歳を迎える母の米寿のお祝いをどうするかを5人姉妹で案を出し合ってきました。
その結果、米寿のお祝いは5人姉妹だけでなく、孫やひ孫たちも集めてお祝いをしたいという想いをくみ、安全を最優先しながら「米寿祝賀会」を行うことにしました。
こういう時は、末っ子の私が幹事となり、場所の選定や皆への伝達など、諸々の準備をします。
南家のゴッドマザーは母です
「私は本当に幸せな人生を送ってきた」
そう言う母の人生は、本当に幸多きものだったのだろうかと、ふと思います。
5人の娘を育てる普通の主婦であったのに、夫の会社倒産から一人で5人の娘を育てることになり、30代後半で祖父の援助の元、いきなり喫茶店を開店したのですから。
最初のお店は地元の尼崎で開いた「BON」という喫茶店でした。
凡、という言葉から取ったそうです。これから始まる茨の道を予期していたのでしょうか、それとも平々凡々と生きていきたかったからでしょうか。
なぜかその時、母は「凡」が思い浮かんだそうです。
その店を皮切りに、さまざまな飲食店を開くことになります。
私の記憶には働く母の姿しかありません。
私は18歳で進学のために上京し、実家を出ました。
母が第一子を産んだ年です。
私は自由に自分の進みたい道を選ぶことができましたが、母はそこからずっと母として生きてきたのです。
父と母は親同士が勧めるお見合い結婚でした。
結婚後、間もなくして実の母を病気で亡くしたことは、母にとっては心の拠り所を失うほどの悲しみだったと思います。
時折、祖母を懐かしみ、どんなに素敵で人から尊敬されていたかを私たちに話してくれます。
60歳ですべての店を譲り、娘たちの暮らす東京に移り住むまで20数年間、母は働き詰めでした。少しずつ家を大きくし、店を増やし、従業員を増やし、子どもたちを育て上げ、そして東京へ。
東京行きは、私が妊娠を機に母にお願いしたことでした。
東京では大好きなゴルフや麻雀など、やっと趣味を楽しむ時間ができ、新しい友人関係も広がってきました。
5年前までは姉や私と同居してきましたが、今は私の家の近くで一人暮らしをしています。
いつでも母が帰って来られるようにと、部屋は同居していた当時のままにしてありますが、母は最後まで一人で自分のペースで暮らすつもりだと言っています。
母には母の生き方があり、88歳には88歳の時の過ごし方があるのだと、母の意思を尊重しています。
私こそ幸せ者ですね。
この歳まで母が元気でいてくれているのですから。
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KAHO MINAMI
1964年兵庫県生まれ。ドラマ『Pachinko パチンコ』がApple TV+で配信中。シェイクスピアの戯曲『夏の夜の夢』(日生劇場、9/6~28)に出演。エッセイ『乙女オバサン』(小学館)が好評発売中。
文/南 果歩 撮影/野口貴司(San Drago) スタイリング/坂本 久仁子 ヘア&メイク/国府田圭
大人のおしゃれ手帖2022年9月号より抜粋
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