神野三鈴さんが語る、平和への願い
「祈りと覚悟」
これを書いているのは12月初旬、もうすぐ今年が終わります。
去年の暮れに私はここで、新しく始まった戦争の早期の終結を祈っていました。
あれから一年。
状況はますます激化して、79年前の戦争から放置した宿題、ガザの惨状に心が痛みます。
今まで分かりにくかった各国の関係性も浮き彫りになり、我が国も無関係ではいられなくなりました。物価高然り。
暦が変わっても真っさらとはいかない状況です。
そう、今、世界は戦時中なのです。
世界で起きていることに目をつむり、心からご機嫌になるのはもう無理。ならば、この状況に向き合いながら、自分の心を保つための新たな覚悟が必要なのかもしれません。
一息つきたくて『おしゃれ手帖』のページを開いたのに戦争や政治の話? とうんざりしないで、どうかお付き合いくださいませ。
日本人は、政治や戦争の話を生活の場であまり話題にしないらしい。
家庭環境や職業にもよるけれど、確かに政治家の顔つき(結構大事だけど)は話題にしても、お茶の時間に「昨日可決された法案どう思う?」なんて話はそう出てこない。
楽しいこと、知りたいこと、伝えたいこと、悩み、怒りと話題にはさまざまあるけれど、本来なら暮らしに直結している「政治」がそこに入っていない。今までは。
でも不安や怒りが愚痴で済まない時期がきている。
身近な暮らしの中でも出合う「戦争の事実」。知人の店で働くシリアからの「難民」と呼ばれている青年はオリンピックの強化選手候補だった。
突然の攻撃で逃げる前日まで普段と変わらず練習に励んでいたそうだ。襲撃前の彼の家の写真を見せてもらったが窓に花が溢れた美しい邸宅だった。
ウクライナのベーシストの友人とは去年の春頃、戦争が終わったらすぐに夫と日本でコンサートツアーをしようとSNSでやり取りをしていた。
その日を楽しみにして頑張るよ! と言っていたが、夏頃「こんなに長い間、楽器に触れていないのは初めてだ。こんなに長く銃を持つのもね」と返信が来てから連絡が取れない。
5年前に一緒に芝居をしたロシア人の役者はメッセージの全てが抽象的なポエムに変わった。
私ごときへのメールまで検閲されているのか。人を殺したくないとロシアを捨てた音楽家もいる。
彼はバラライカの名手なのでロシア音楽が演奏禁止の今、地方で農業をしている。一生かけて積み上げてきたものも国と国の争いでは全て吹っ飛んでしまう。
生きているだけ幸せだ、戦争なんだからと、子どもたちや大切な人や自分の身にこんな理不尽が起きても、そう思えるだろうか。
私たちの世代は家の中に戦争を経験した人がいた。家族から、生々しい話を聞いた人もいるだろう。私の父は少年兵として駆り出されシベリアに抑留された。10代で人を殺し、敗戦後の国を生きた彼の精神はどこか崩壊していた。
祖父は一切、戦争の話はしなかった。彼らが貝のように黙るとき、異常な空気が家の中に流れたのを子ども心に覚えている。
一方、忘れられない祖母の言葉がある。子どもの頃、私は光化学スモッグで喘息になった。お医者さんが「子どもを育てるのに不安の多い時代だね」と付き添いの祖母に言うと、彼女は「人間の歴史の中で、子どもを安全に育てられた時代なんて、一度もありませんよ」と笑った。
それを聞いて、絶望を感じながらも何故か、不安な心が軽くなった。
明治の女の逞たくましさ! に生き抜く強さを感じたのか。
「大切なものを守るための戦争と信じたが、守るためには戦争を二度としないことだ」と、戦後平和な時代の私たちは教わった。
時代や家族から私が受け継いだ、感情を伴った戦争の記憶たち。
せめて若い人たちへささやかな申し送りが出来たらと願う。
生き抜いた人たちの逞しさを受け継ぎながら、私は戦争をしない為に戦えるようになって、力の限り若い人たちの夢を守りたい。
私が20代の頃、ドイツに、パレスチナとイスラエルの戦争で怪我をした子どもたちがひとつの施設で暮らす活動があることを知った。
そこでは小さな喧嘩はあってもみな仲良く暮らしていた。あの時の子どもたちは今どんな思いでいるのだろう。
葛藤を超え、いつか両国に橋をかけ、花を咲かす希望の種になりますように。
世界の子どもたちからの願いを集めた本の中に「なおせないものをこわすのはもうやめて」という一行があった。
伐採される森や埋め立てられる海、戦争、そして日々の中での子どもの「こころ」かもしれない。
MISUZU KANNO
神奈川県鎌倉市出身。第47回紀伊國屋演劇賞 個人賞、第27回読売演劇大賞最優秀女優賞を受賞。代表作は舞台『メアリー・ステュアート』『組曲虐殺』、映画『大いなる不在』、『アングリースクワッド』など。映画『ファーストキス 1ST KISS』が公開中。
文/神野三鈴 撮影/枦木功[nomadica] スタイリング/田口慧 ヘアメイク/奈良井由美
大人のおしゃれ手帖2025年2月号より抜粋
※画像・文章の無断転載はご遠慮ください
この記事の画像一覧