【高野山への旅/前編】 “パワースポット”なんて言葉じゃ軽すぎる! 導きの神おわす「丹生都比売神社」から始まる聖地巡りと話題の駅舎ホテルを体験!
空海さんのざっくりプロフィール
弘法大師空海/『とっておきの高野山 総本山 金剛峯寺 高野霊木ブレスレット BOOK』挿絵(イラスト:竹永絵里)
そういえば今回の旅と同じメンバーで訪ねた、お大師さんのご生誕の地、香川県の総本山善通寺(ぜんつうじ)
宝亀5(774)年、讃岐国(さぬきのくに)多度郡(たどのごおり)屛風ヶ浦(びょうぶがうら)、現在の香川県善通寺市生まれ。幼少の頃からの神童ぶりで、15歳で上京(もちろん東京ではないですよ、京都です)し、当時ほんのひと握りしか入れなかった大学に18歳で入学するも、19歳のときに一念発起して退学。求道(ぐどう。正しい仏の教えを求めること)の旅に出られます。
中華人民共和国陝西省の古都・西安市南郊、近代に復興された青龍寺(画像:Wikipedia)
スーパーエリートしか選ばれない遣唐使として、31歳で今の中国に渡り、当時最高峰の高僧・青龍寺の恵果和尚(けいかおしょう)に弟子入り。先輩たちをごぼう抜きして半年にして正当な後継者として密教の奥義を授かります。そのかたわら文化芸術、土木、薬学、教育など仏教以外の知識もバリバリ吸収。それを成し得たのも、中国語、サンスクリット語も堪能だったからのようです。つまりトリリンガル。天才。
現在の満濃池。写真提供:(公社)香川県観光協会
一日も早く日本に密教を伝えるべく、本来遣唐使の留学期間は20年のところ、2年で切り上げて帰国。43歳で真言宗を開き、高野山を修行道場として開創。
嵯峨天皇から賜った京都・東寺も真言密教の道場としたり、日本初の庶民のための私立の教育施設「綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)」や日本最大級のため池・満濃池(まんのういけ)を作ったり、日本三筆(字が上手い人トップ3)に数えられる能書家だったりと「え? ひとりの人生?」と思うほどの功績の数々を残しています。伝説、キリがない。スーパースター。
高野山・奥之院、生身供の様子。写真提供:(公社)和歌山県観光連盟
高野山では、空海さんは入定後も奥之院の御廟(ごびょう)で禅定(ぜんじょう。心静かに瞑想すること)しておられ、毎日6時と10時30分の2回、食事を届け続ける「生身供(しょうじんぐ)」という儀式が約1200年間続けられています。
ちなみに「空海」の名は、19歳の時、洞窟で修行中に悟りを開き、そのときに見た空と海に感銘を受けてご自身で名乗ったと伝えられています。ちなみに下記は全部、空海さんのことです。
・佐伯真魚(さえきのまお)
お坊さんになる前の俗名
・遍照金剛(へんじょうこんごう)
恵果和尚から与えられた名前(灌頂名・かんじょうめい)
・弘法大師(こうぼうだいし)
入定後、醍醐天皇から与えられた名前(諡号・しごう)
高野山界隈の皆さんは“お大師(だいし)さん”と呼び、京都の皆さんは“弘法さん”と呼んではるイメージ。いずれにせよ、親しみ深い存在なのだなぁと思います。2023年は生誕1250年後のアニバーサリーイヤーが盛大に祝われました。
以上、わかりやすくお伝えしようとかなりくだけた表現をしてみましたが、私は空海さんを心から尊敬しています!!!
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