国会議員秘書からの転身。
「遅く咲くのは枯れぬ花」【それぞれの更年期】
閉経前後で心や体が大きく変化する「更年期」。
英語では更年期を「The change of life」と表現します。その言葉通り、また新たなステージへ進むこの時期をどう過ごしていったらいいのか—。
聞き手にキュレーターの石田紀佳さんを迎え、さまざまな女性が歩んだ「それぞれの更年期」のエピソードを伺います。
今回お話を伺ったのは・・・
森下ゆり子さん
1964年生まれ。国会議員秘書として永田町で勤務する。自身の体調不良から植物療法によるセルフケアの必要性を痛感し、退職後、フィトテラピーを学ぶ。植物療法士、フランス植物療法普及医学協会認定メディカルフィトテラピスト、アロマトローグ、ミルフルール主催、ルボアフィトテラピースクール講師。
外では元気を装い帰宅したらぐったり
「あなた、今の生活を変えないともっと大きな病気になるよ」と医師から言われた。国会議員の秘書として勤務し、私生活では子どもの通う学校のPTA役員として多忙を極めていた。国会議事堂の地下通路を歩いているときに目まいがし、原因不明の高熱、そして腎盂炎に。
森下ゆり子さん、45歳のころだった。
「忙しいだけでなく、ホルモンバランスの変わり目でもあったのでしょうね。40代って無理ができるんですよね。だから外ではいたって元気を装って、帰宅したらぐったり。家の片付けもままならず、お料理も思うようにできませんでした。でも、(仕事の付き合いでの)二日酔いでも息子のお弁当だけはなんとか作りました。休めるのは寝るときだけ」
本来、部屋が片付いているのが好きなゆり子さんだったので、「夫から、なんで最近散らかって
るの? って言われて、片付けができない自分が嫌になって落ち込みました」
小・中・高校と皆勤賞だったくらい子どもの頃から健康だった。周りからは明るく朗らかと見られていた。いつも太陽の下にいる人、というイメージ。
だから、元気でない自分、落ち込んでいる自分に戸惑った。
「生活を変えるには仕事を辞めるほかないとわかっていたのですが、簡単にはできませんよね。それが、『ああ、仕事を辞めたいなあ』って願っていたら、幸か不幸か担当していた議員の先生が落選されて……」
責任感の強いゆり子さんは秘書の仕事を辞することができた。
一生できる仕事植物療法との出合い
退職して時間ができたので、以前から興味のあった植物療法を学び始める。
「PTA役員は続けていました。PTAって無償の仕事なので、自分が元気で輝いていないと誰もついてきてくださらないでしょ。だから本当に健康になるために植物療法を実践し始めていたんです」
次第に、自分だけでなく周りの人の心身の健康を整えることを一生の仕事にできればと思うようになり、本格的に植物療法を学ぶことを決める。ルボアフィトテラピースクールに3年通い、植物療法士のディプロマを取得する。
2017年、53歳でルボアフィトテラピースクールの講師を務めるように。そこで、思春期、妊娠、出産、更年期の悩みを抱える幅広い年代の女性たちと出会ってきた。
「植物療法を必要としている人は、どこか不調のある方もいますよね。私も、ずっと元気なままだったら、皆さんの気持ちがわからなかったと思います」
大変だったが、実際に心身の不調を経験したことで、植物療法士として、不調に悩む人たちの気持ちに寄り添えるようになった。
「私の場合、更年期の症状を緩和してくれたのは、精神的にはバラの香り、そして安眠を促してくれるメリッサのハーブティーと活力をくれる高麗人参のエキスでした」
現在も、アロマやハーブを日常生活で自分や家族の心身のケアに使い、常に助けてもらっているという。
「このセントジョンズワートのチンキは、ティースプーン1杯をコップ1杯の水に入れて飲みます。私は、悲しいときや深く落ち込んだときなど、精神的にストレスがかかったときに飲みますね。気持ちを晴らしてくれます」
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