【柴咲コウさんインタビュー】
「家族の在り方は人それぞれ。その人の家族観を映し出す映画です」
村井理子さんによるノンフィクションエッセイ「兄の終い」を、『浅田家!』『湯を沸かすほどの熱い愛』の中野量太監督が脚色し映画化した『兄を持ち運べるサイズに』。この映画で、柴咲コウさんが主人公を演じています。映画のこと、家族のこと、俳優としての今について、柴咲さんに聞きました。
自分から出てくるもの、ナチュラルさを大切に
作家として働きながら、夫、子どもたちと暮らす理子(柴咲コウさん)のもとに、疎遠だった兄(オダギリジョーさん)の死の知らせが届きます。離婚して息子を引き取るも定職に就かず、たまに連絡があると金の無心ばかり。そんな兄の後始末を、なんで私が!?……もやっとした思いを抱えながら兄の住んでいた東北へ。兄の元妻(満島ひかりさん)と合流し、亡き兄、そして家族との日々を思い直す4日間を過ごすーー。
「私自身は、母を早くに亡くし、兄もいません。理子とは家族のカタチが違いますが、世代が近く、身内を亡くした気持ちは理解できます。そこで役にハマるというより、自分から湧き出てくるもの、ナチュラルさを大切にしたほうが良さそうだなと思いました。撮影前には原作者である村井さんからお兄さんの話を直接お聞きしたり、ほかの出演者の方とお菓子やケーキを食べながらお話する‟お菓子タイム”を作ってもらったりしました」
脚本を読んで思ったのは、「どんな家族を持つ人もそれぞれに共感し、考えさせられるお話」だということ。
「スタッフや作品に関わる多くの人が自分の家族に思いを馳せたようだったんです。待ち時間にふと頭をよぎったことを話してくれたり、撮影の最中に身内を亡くされたスタッフが、そのことを吐露したり。現場はひとつのでっかい家族のようなチーム感がありました。これまでにない不思議な感覚でしたが、物語にそれぞれがシンクロしたのかなと。私もいつもなら仕事中は‟撮影モード”のようなものがありますが、今回はある意味でリラックスした、フレキシブルな状態でした。自分と役とがマーブルのように溶け合い、自分であって、自分ではないような」
手間と時間をかけて向き合った今回の作品ですが、映し出された理子は一見、とてもさりげなく、まるで‟ナチュラルメイク”のようなお芝居といった印象でした。初めて組んだ中野監督からは、撮影に入る前から「新しい柴咲さんを見せたい」と言われていたそう。
「セリフをアウトプットするときって、どうしても癖のようなものがあるんです。自分では気付いていない場合もありますが、監督は私のそうした癖ではないところを狙っていたのかも。これまでにないタイプの演出で新鮮でした。『なるべく素の感じで』という監督の要望もあって実際にナチュラルメイクで、メイク時間もとくにかかっていません(笑)」
理子は亡き兄に対し、複雑な思いを抱えています。それもまた誰もが知る、家族という関係性の難しいところ。
「家族間の問題を解決するにも、自分が腑に落ちるのと相手が納得するのとではまた違いますよね。前者を優先し過ぎると相手を責めることになってしまったり、後者のために相手の言葉を傾聴することも、身近な家族だからこそ忘れがちになってしまったり。その辺りはトライ・アンド・エラーでしょうけれど、私自身は、自分の主張を押し通しちゃったことが必ずしもいい結果につながるわけでもないななどと後から反省するタイプ(笑)。でも理子のように、相手がもうこの世にいない場合は、解決しようにもできない、そうして年月が経てば経つほど、『こうしていればよかったかも』と頭の中で補完を重ね、その経験が後に活かされていくのかもしれません」
完成した映画は、「言葉でまとめるのが難しい」と柴咲さん。
「家族と疎遠になっている人、折り合いの悪い人もいれば、親友同士のように仲が良い家族関係の人もいて、家族の在り方というのは人それぞれ。だからこそこの映画を観ると、その人の家族観を映し出すかもしれません。そして、家族のことには触れたくないという人ほど刺さる面がある気もします。一見、クズだと思った人でも、角度によって見えてくる面が変わるものかもしれませんから」
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