【インタビュー】「食べることを力に変えて」
たかはしみえさんの考える暮らしとは?
閉経前後で心や体が大きく変化する「更年期」。
英語では更年期を「The change of life」と表現します。 その言葉通り、また新たなステージへ進むこの時期を どう過ごしていったらいいのか――。
聞き手にキュレーターの石田紀佳さんを迎え、 さまざまな女性が歩んだ「それぞれの更年期」の エピソードを伺います。
今回お話を伺ったのは・・・
たかはしみえさん
1961年生まれ。幼稚園教諭を経て、マクロビオティックに出合う。フードレメディベーシックコースなどを開講。2023年より、奥出雲に移住。
https://lit.link/en/miemajyo
46歳で大阪から東京へ
大阪でマクロビオティックの指導者として夫を支えていた、たかはしみえさんは、あるとき友人に
「東京で名を売らないと何をやっているか伝わらないわよ」と言われ、2007年に東京にも拠点を持った。
みえさん46歳のときだった。
東京では瞬く間に「キレイになるマクロビ教室」が評判を呼び、10冊を超えるマクロビオティック関連の料理本を上梓。
「マクロビオティック=玄米正食」は、どちらかというと厳しく暗いイメージだったが、みえさんのマクロビの世界は、これまでとガラリと違ってキラキラと輝く世界だった。
「髪型も縦巻きカールでスタイリッシュな服装でお化粧をしっかりしていました。それはそれで私だったんだけど、今から思うとブランディングされていたのよね」
季節や月のリズムに沿った玄米と菜食によるキレイになるレシピ、楽しんでマクロビ生活をできるような世界を広く伝えていく中、2011年東北大震災が起こった。
福島の原発事故の影響を心配した大阪の知人たちには「危ないから大阪に戻ってこい」と言われた。しかし、みえさんは「東京でみんなにお世話になったし、生徒さんたちがいる」と、あえて東京で活動することを決める。
同年に母を、そして父を相次いで見送り、2014年にはまさかの離婚。
53歳のみえさんは閉経を迎えた。
「私、おむすび結ぶの得意なのよ」と心底楽しそうに、美しい指先の仕草で結ぶ。毎日14個を20年間。1日に100個を結んだことも。みえさんの料理と人生の基本がここにある。友人が更年期で鬱になり家事がままならなくなったときにもおむすびを届け続けた。
一番信じていた人との別れ
「離婚が決まった途端、月経がピタッと止まって、それ以来なくなったから、あれが閉経だったんでしょうね」
みえさんの前職は幼稚園教諭。その時代から「どうしたらお母さんが幸せになれるか」を探し続け
て、久司道夫さんのマクロビオティックに出合い、直感でこの道に進むことを決めた。
マクロビオティックの指導者であった夫とも出会った。
「母は新興宗教ではないかと反対したので、家を出る形でマクロビオティックを学びました。夫と出会って、どんなことがあってもこの人と一緒にいれるだけでいいと思っていたので、離婚はとてもショックでした」
しかし、一番信じていた人からの裏切りとそこからの回復。
死にたくなるほどの辛さと社会経験はみえさんの「気づき」となり奥行きとなった。
「玄米を食べてなかったら、山手線に飛び込んでいたねっていまでも友人に言われます」
誰も他人の辛さはわからない。
「私は先生だったから、生徒さんの悩みを聞いて、そうねそうね、わかるよその痛み、と言ってアドバイスしたりしたけど、そういうことよりも、ただそばにいることが大切なのよね」と、自分の体験を通して「寄り添ってもらえることの心強さ」を体験した。
インタビュー時もやわらかな明るい声で笑顔を絶やさず話すみえさん。
生徒たちからは「ずっと幸せだったんですね」と言われる。
しかし、「いろんなことがありましたよ。でも、年を取るにつれて幸せになっていっている。喜び上手は幸せ上手っていうじゃない? 私、どんどん喜ぶのが上手になっています」
振り返れば、50代前後は、現在から未来への活動につながるような大波がまとまって押し寄せた時期だった。危うく飲み込まれそうにもなったが、乗り越えて今がある。
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