【50代の大人旅】「志村ふくみ・色と言葉のつむぎおり」展とアトリエシムラ体験から学ぶ、美しい生き方のヒントーエディター・あさこの関西巡りー
まさに波瀾万丈! 30代でスタートした志村ふくみの染織家人生
ふくみ先生の故郷・滋賀を象徴する琵琶湖をモチーフとした作品たち。左から《みなくれない》《楽浪》《湖上夕照》《光の湖》。
滋賀県近江八幡市で生まれた志村ふくみ先生ですが、2歳で実父の弟夫妻の養子となり、東京・吉祥寺に移ります。17歳で自身の出自を知るとともに、実母から初めて機織りを習いました。この実母の豊さんがとても先進的な方で、柳宗悦らによる民藝運動の流れを汲む染織家・青田五良から指導を受けていたのだそう。
東京と故郷を行き来しながら実兄を看取ったふくみ先生は、20代で結婚・出産を経験。30代に入ってから本格的に染織家を志し、離婚を経て近江八幡へ移住……と怒涛のような前半生を歩みます。工芸家の黒田辰秋や富本憲吉、稲垣稔次郎ら当時の一流アーティストたちに学びながらも、染織に関しては特定の師を持たず、実母・豊さんとともに手探りで作品作りに打ち込んでいくのです。
私がとくに惹かれた3作品。左から、パッチワーク作品《切継ー熨斗目拾遺ー》、大胆に左右で色を切り替えた《回帰》、同じモチーフで3点制作されているうちの《塔(月)》。
滋賀県立美術館で開催されている企画展、滋賀県立美術館開館40周年記念「生誕100年記念 人間国宝 志村ふくみ展 色と言葉のつむぎおり」では、出身地である近江八幡や、滋賀県の象徴ともいうべき琵琶湖に関する作品が多数展示されています。
幼くして生まれ故郷を離れたふくみ先生は、近江八幡について「この八幡という古い沈んだ町は、東京近郊の小市民の家庭に八年余り平凡な主婦として生活してきた私にとって町のたたずまいのひとつひとつが、何やら由緒ありげに思われて興味深い」(『一色一生』求龍堂)とも述べています。
そして「琵琶湖は私にとって、父や兄達の終焉の地であり、若かった自分が傷つき、世間に背を向けてたどり着いた水辺であり、仕事に打ち込むことによって蘇った場所でもあった」(「彩ものがたり 湖上夕照」『芸術新潮』12月号・新潮社)、そしてさらに「琵琶湖は私にとって単なる風景ではない」(『伝書 しむらの色』求龍堂)と綴っており、いかに琵琶湖が特別な地であったかがうかがえます。
ふくみ先生のライフワークのひとつ「源氏物語シリーズ」の作品群。手前から《明石の姫君》《夕顔》《花散里》《蛍》。
1968年、滋賀から京都へと工房と住まいを移したふくみ先生。工房を構えた嵯峨には歴史ある名刹が点在しており、『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルとされる源 融(みなもとのとおる)ゆかりの清涼寺もそのひとつです。清涼寺を散歩で訪れた際、源 融の墓所があると知ったことをきっかけに遠い平安時代の王朝文化を身近に感じたふくみ先生は、ライフワークとして『源氏物語』をテーマとした作品作りに取り組みました。
ちなみに『源氏物語』は、作者である紫式部が滋賀にある石山寺にお参りしたとき、琵琶湖に映る月を眺めていて着想を得たのだとか。紫式部とふくみ先生、ふたりの女性が時空を超えて滋賀と京都で創作活動を行ったことは、きっと偶然ではないはず!
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