怒りの感情についてのお話【神野三鈴さん】
新しい年を迎えたと思ったら、あっという間に二月。
年々時が経つのが早くなるといいますが、一説には経験したことが増え、「慣れ」が時間の体感を早くさせるのだとか。
子どもの頃は初めてのことばかりだから長く感じていたそう。そういえば夏休みは永遠に続くようだったし、初めてのアルバイトもいつまでも終わらないのでは……と思った記憶が。
不思議なのは、経験値が増えるのに、なぜ怒ったり、イライラしたりと感情をコントロールするのが難しいのか。それどころか前より怒りっぽくなったという人もいます。
今回はそんな怒りの感情についてのお話です。
どうか怒らないで読んでくださいませね。
昨今はご存知のようにアンガーマネージメント、つまり怒りのコントロールを学ぶ人も多い。私たちの現場でも作品に入る前に、ハラスメントに対する講習が義務付けられている。
してはいけない、とされることが、大なり小なり私たち世代では当たり前に行われていたことばかりで、我が身を振り返り反省することも多い。
対等にリスペクトし合ういい時代になったと思う反面、こりゃ線引きが難しいなと感じる例も少なくない。
定義付けの難しさや違和感を多くの人が感じるから『不適切にもほどがある!』という傑作ドラマが大ヒットしたのだと思う。
何に対して怒りを感じるか、価値観は人の数だけあるから本当に難しい。
立場の強い人間の高圧的な態度やDVは別にして、何に対して自分は怒るのか、許せないのかを知ることは大切なことなのではとも思うのだ。
怒りやイライラを「悪い感情」と決めつけないで、気分転換で散らしてしまう前に、テーブルの上(心の中の)に置いていろんな角度で眺めてみるのも面白いかもしれない。
自分という人間を形づくる「私にとって許せないほど大切なこと」が見えてくる。
ただ鎮めるのではなく、自分を見失うほど、大事なものの愛し方が見つかるかも知れない。
最近、私は久しぶりにわなわなと震えるくらい怒りを感じた。新橋駅から友人の見舞いに虎の門病院に向かって歩いていたら、道の真ん中に何か啄(ついば)むものでも落ちていたのか鳩の群れがいた。
そこに走ってきた白い小型トラックの運転手が、いきなりアクセルを踏んで鳩の群れを轢
ひいたのだ。慌てて飛び立ち助かったのもいたが、車の進行方向にしか逃げられず二羽が犠牲になった。
突然の出来事に私は「ああ、轢いてるうう」と叫ぶしか出来なかった。その男の運転手は薄笑いを浮かべていた。
後から来る車が避けようと困っていたので止まってもらい、道路の端の街路樹の下に鳩を運んだ。まだ暖かい体が突然の出来事だったことを物語っている。
ごめんね、ごめんね、と私は呟いた。私が轢いたわけではないけれど、人間が面白半分で無駄な殺生をする残酷さに、同じ人間として謝っていたのだと思う。
人間だけの星じゃないのだから。人間だけの新橋じゃないのだから。
最初はショックで慄おののいたが段々と震えるほどの怒りが湧いてきた。トラックを追いかけ、薄笑いの顔をぶん殴ってやりたいとまで思った。トラックに乗っているから強気になっているのだ。なんでナンバープレートを見なかったんだろう、会社の名前なども車体には書かれてなかった。もしあったら、その会社に電話してカスハラになるほどの抗議をしたと思う。
鳩に何故そこまでと思う人もいるだろうが、どうやら私には大切なことらしい。
丁度、撮影している作品が戦時中の話で、なぜ人間がそこまで残酷になれるのかという台詞を読んだばかりだった。
「ああ、人間は本来、残酷性を持っているのだ」と見せつけられた気がした。
あの男には心を通わせるペットも、ましてや手塩にかけて愛し育む幼子を抱きしめることもないのだろうと想像して怒りを鎮めた。
鳩に深い恨みがあったのかも知れない(それでも赦さないけど)。あたたかく柔らかいずっしりとした鳩の重みが消えない。
去年、公開した映画『アングリースクワッド』はタイトル通り、怒りの一団が繰り広げる痛快復讐劇。家族を守るため権力への怒りを封印していた男と、家族を権力に踏み躙(にじ)
られた男が仲間となり、巨悪に立ち向かう。
そのなかで権力者が言う台詞にこんなのがあった。
「小市民が幸せに暮らすには怒りを持たないことだ」と。
オカシナことには怒りをちゃんと感じられるようにしておきたいものだ。
小市民を舐めたらいかんぜよ。
感情の上手なコントロールを見つけるその前に、ここまで生きてきて、今、なぜ「このこと」に怒ったり悲しくなるのか、ちょいと向き合ってみるとその感情が喜んでくれて、少し楽になるような気がします。
ごきげんに過ごす秘訣かも。
MISUZU KANNO
神奈川県鎌倉市出身。第47回紀伊國屋演劇賞個人賞、第27回読売演劇大賞最優秀女優賞を受賞。代表作は舞台『メアリー・ステュアート』『組曲虐殺』、映画『アングリースクワッド』、ドラマ『秘密』(フジテレビ)など。映画『ファーストキス 1ST KISS』が公開中。
文/神野三鈴 撮影/枦木功[nomadica] ヘアメイク/奈良井由美
大人のおしゃれ手帖2025年3月号より抜粋
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