アンチエイジングにも効果的!ナニワの老舗ごま専門メーカー「和田萬」【上食研・Wあさこのおいしい社会科見学 vol.8】
明治16年創業の乾物問屋・和田萬 今や知名度は全国区のごまメーカーに
日本料理にはさまざまな薬味が欠かせませんが、ごまもそのひとつ。薬味だけでなく、調理油や香味油としても使われるごまは、お料理の仕上がりを大きく左右します。
麻子先生のお料理教室では、先生自ら吟味した材料を使ってはりますが、ごまは和田萬さんのものをセレクト。
「なにしろ香りが全然ちゃうねん」という麻子先生と、和田萬本社敷地内にある本店「萬次郎 蔵」を訪れました。
出迎えてくれたのは、5代目・和田武大(たけひろ)さん。麻子先生は和田さんのごま畑に収穫体験に訪れたこともあるそうで、とても懇意にしてはります。
ちなみに、武大さんは私の夫の友人でもあり、私たちの結婚式にもご夫妻で参列してくれはりました。そういえば、結婚前に当時は男友だちのひとりやった夫から、和田萬さんのごまをもらったことがあったなぁ。
当時私が和田萬さんのごまを知ったのは、あるテレビ番組で見かけたのがきっかけ。黒縁メガネの芸人さんが「うまーーーーい」って叫んでいて「食べてみたい!」と思い、なぜかその話を友だち(現・夫)にしたところ、我が物顔で「あるで!」と和田萬さんの看板商品「黄金香りごま」などをお裾分けしてくれたんです。帰ってさっそくパックを開けたら、ブワッとごまの香りが立ち上り「ごまってこんなに違うんだ!」と思った記憶があります。
その際に「よく焙煎してるからかな?」と思ったのですが、金ごまは白ごまを焙煎したものではなく、白ごま、黒ごま、金ごまはそれぞれ別の品種だそうです。
和田萬の本社&本店のある大阪・天満は、大川(現在の淀川)のほとりに位置し、江戸時代には多くの乾物商が軒を連ねていたエリアだったそう。
明治に入ってから乾物問屋として創業した和田萬も、店のすぐそばを流れる川の水運を活用し、寒天や椎茸、黒豆などの豆類や切り干し大根、高野豆腐など乾物全般を商っていたといいます。
その後、第二次大戦中にこのあたりも空襲で焼けてしまい、戦後、立て直しを図るなかで3代目の栄三さんがごまを扱うように。
店の前の堂島川でごまを洗い、河原で天日乾燥させた「洗いごま」の販売に始まり、昭和28年(1953)には、大阪市内でごま加工工場の操業を開始。その後、自家焙煎もスタートします。
ごまのおいしさの鍵を握る焙煎の工程を任されたのが、のちに4代目となる悦治(えつじ)さん。武大さんが「父は、小さなごま粒に世界中で誰よりも向き合ってきた人だと思います」と語るほど職人気質の悦治さんは、和田萬ならではの高い焙煎技術を作り上げます。
転機となったのは、平成2年(1990)年にごまの家庭用小袋の販売を開始したこと。
武大さんは子どもの頃から、おやつがわりにごまを食べていたそうですが「しっかりごまの味がするので、とくに何にも味付けずに食べてましたね」と言います。それだけ味の濃い和田萬のごまは“とびきりおいしい!”とリピーターがどんどん増え、隠れた名品として人気を拡大!
「当時はそれだけこだわったごまっていうのが珍しかったのかもしれませんね」と武大さん。
それまではインスタントラーメンや手延べそうめん、冷麦などの乾麺、あるいはわらび粉などさまざまな商品を取り扱っていましたが、ごま専門メーカーへと舵を切り、加工工場を大阪・八尾市へ拡大移転し、現在に至ります。
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