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大人のおしゃれ手帖
2026年1月号

2025年12月5日(金)発売
特別価格:1640円(税込) 
表紙の人:中谷美紀さん

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【梅宮アンナさんインタビュー】乳がんになったのは私。だからこそ、自分が納得のいく治療を選択していきたいPR ギリアド・サイエンシズ

大人のおしゃれ手帖編集部

梅宮アンナさんのインタビュー

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2024年、自らの乳がんを公表した梅宮アンナさん。シャワー中に気づいたわずかな異変から始まった治療と選択、人生の大きな転機となった再婚まで。「がんを公表してからは初めて」という地毛での撮影とともに、今伝えたい思いを語ってもらいました。

昨日とおっぱいの形が違う! から始まった闘病
けれど、一度は「乳がんではない」という報告も……

2024年の夏、乳がんの一種である「浸潤性小葉がん」に罹患した梅宮アンナさん。異変に気づいたのは、いつもと変わらない朝のシャワーの時間でした。

「前日と胸の状態が明らかに違っていたんです。片方のおっぱいだけが不自然に張っていて、左右の大きさが極端に違う。これはおかしいな、と直感的に思いました。娘に相談すると、『胸の写真を見せて』と。言われるがままに写真を送ったら、『すぐ病院で診てもらった方がいい』と言われたんです」

その日のうちに国立病院に連絡したものの、検査の予約が取れたのは10日後でした。

「正直、10日後ってちょっと長いですよね。検査を待つ間、周りとも『おっぱいの異常で病院に行くんだよね』『更年期かな? 乳がんじゃないといいね』と話していたら、ある人に『マンモグラフィとは違って、痛くない乳がん検査を受けられるところがある』と教わって。それはうつ伏せになって機械に胸を入れるだけで、血液検査もしない。予約も早めに取れたので、まずはそちらを受けることにしたんです」

その検査は自由診療で、費用は約3万円。検査結果は後日、郵送で送られてくる形でした。

「届いた書面には『のう胞はありますが、がんではありません』と書かれていました。ママはそれを見て『よかったわね、がんじゃなかったのね』って喜んでいました。でも私は、どうしても信じられなくて。まだ血液検査も細胞診もしていないのに、どうして安心なんてできるの……? って」

その1週間後、国立病院からの診断結果は「浸潤性小葉がん・ステージ3A」というもの。

「がんではありません、と言われた直後に、がんだと告知された。これほど異なる診断結果が出ることがあるんです。その後、がんではないと診断された医療機関から連絡が来たので、『国立病院ではがんだと言われました』と伝えたら、先方が慌ててしまって。病院へ呼ばれたんですよ。私は早く治療に専念したかったので時間を取られたくなかったのですが、もし私ががんじゃないと信じ込んで放置したら、命に関わりますよね。のう胞があったのだから、『大きな病院で診てもらってください』という一言があってもいいのでは? と伝えて帰ってきました」

正しい知識を得るためには、医師に直接質問すること
理解したうえで、標準治療を選択

告知を受けたときは、「なぜ私が……」とショックを受けるのではなく、「一刻も早く直そう」と気持ちを切り替えたというアンナさん。セカンドオピニオンとして、国立のがん専門病院へ。今もそちらで治療を受けています。

「治療を始める前、先生に『治療しなかったら、私は死にますか?』と聞いたんです。私は父の介護も経験したし、療養生活はきれいごとばかりじゃないとわかっていましたから。そうしたら、先生が『それは神様しかわかりませんよ』と。『ただ、頑張ろう、治そうという気持ちが梅宮さんを救います』とはっきり言われたんです。その言葉が胸に刺さって『じゃあ先生、私、治します』と答えました」

乳がんを語る梅宮アンナさん

さらに医師から伝えられたのは、「病気についてインターネットで調べないでください」ということ。

「世の中には、がんに関する情報があふれていますよね。私もさまざまな治療法や健康法を勧められましたが、先生は『お気持ちだけいただいて、実際に取り入れるのはやめてください』ときっぱり言われて。自由診療のなかには何百万もかかるものもありますが、私はそこにも抵抗があったんです。みんなが高額な治療費を払えるわけじゃないし、なんだか不安につけ込まれている気がして。だから、医師が推奨していて、誰もが選択できる『標準治療』だけで治そうと決めたんです。もちろん、どの治療を選ぶかはその人次第。自分で決めたことだから、もし標準治療でうまくいかなかったとしても、納得しようと覚悟していました」

標準治療を選んだのは、情報を発信する立場としての責任も意識してのことでした。

「私の発信を見て信じる人がいると思うと、いいかげんなことはできない。通っている病院も知られていますから、もし私がおかしなことをしたら、病院にも迷惑がかかってしまいます。“自分ひとりの体じゃない”という意識でしたね」

治療は、抗がん剤を投与した後に手術を受け、さらに放射線やホルモン療法を行うというもの。長期にわたる治療の間、医師と信頼関係を築くうえで心がけていたのは、疑問点や不安なことは直接聞くということ。

「先生が、治療を登山に例えて説明してくれたんです。山を登るときに経験や知識がなかったら、頂上にたどり着くことはできない。正しい知識を得るためには、自己流で調べるのではなく、専門家に質問することが大切なんです。先生からも指摘されたように、ネットで調べているとネガティブな情報ばかりが出てきて、悪循環に陥ってしまう。診療時間は限られているから、聞き忘れがないよう、質問はいつもメモにまとめていました」

乳がん治療は外見の変化を伴うけれど……
胸がなくなることよりも、脱毛のほうがストレスだった

2024年11月には右胸とリンパ節の摘出手術を終えたアンナさん。摘出による外見上の変化は、すんなりと受け入れられたと話します。

「全摘したことを伝えると、『今は再建できるから』となぐさめられることも多いけど、私は『なんでおっぱいが要るの?』と思ってしまって。胸は女性の象徴だとも聞くけれど、私は特に再建の必要を感じなかったんですよね。もし温存できたとしても、私は全摘を選んでいたと思います。再発の不安を抱えて生きるほうが、よほどつらいだろうから」

一方で、アンナさんにとってストレスとなったのは、抗がん剤治療による脱毛でした。

「がんになっても、おしゃれをしたい気持ちはあきらめたくない。人毛を使ったウィッグはカラーやアレンジもできるのでありがたく使っていましたが、暑い季節は長くつけていると頭皮が蒸れてかゆくなるし、髪が伸びるとウィッグが浮いてしまうんです。それに抗がん剤の影響なのか、以前とは髪質も変わってしまって。かわいいくせ毛ならいいけれど、なんだか昭和のパンチパーマみたいにチリチリになってしまうので(笑)、ヘアアイロンは必須ですね。じつは今日、がんを公表してから初めて、ウィッグなしの地毛で撮影してもらったんです。ウィッグもいいけれど、今の私の気分的に、ナチュラルなスタイルを見てもらいたいと思って」

アンナさんの元気を支える必須アイテム

梅宮アンナさん愛用のマスク

「ビビッドカラーのマスク」

アメリカのオンラインショップで購入したカラフルなマスク。「日本では見ないビビッドなカラーをつけたくて探しました。病院ってどうしても重い雰囲気の場所だけど、その空気に打ちのめされたくない。色からパワーをもらいたかったんです」

梅宮アンナさん愛用のディプティック

「ディプティックのキャンドルとルームスプレー」

ディプティックのキャンドルとルームスプレーが治療中の助けに。「私の場合は、治療中も香りで気分が悪くなることはなくて、むしろ気持ちが上向きになったので。『Baies』のシリーズはカシスの実とローズの香りが特徴的で、もともと大好きな香りなんです」

梅宮アンナさん愛用のボディケア

「全身を心地よく癒やすボディクリーム&オイル」

気分が落ち込みがちな入院中も、香りの力を借りて前向きに。「ボディケアにもトムフォードのボディオイルや、マンダリンオリエンタルのボディクリームを使っていました。ボディクリームはレモングラスの香りが爽やかなんです」

ポジティブ思考もいいけれど、疑ってかかったほうがいいこともある
自分を支えられるのは自分しかいないから

同世代である『大人のおしゃれ手帖』の読者へアンナさんから伝えたいのは、定期的に検診を受けることはもちろん、小さな異変も見逃さないこと。

「私は毎年人間ドックとマンモグラフィを受けていたけれど、それでもがんは見つかりました。だから『検査しているから大丈夫』と過信したり、『きっと更年期のせいだろうな』と見逃さないでほしい。ポジティブ思考はいいことだけど、“病気を防ぐ”という点では、ポジティブすぎるのも考えもの。体のことは、どんなに小さな違和感でも、疑ってかかった方がいいと思います」

梅宮アンナさんが乳がんを語る

抗がん剤治療、手術、放射線治療の「3大治療」を終えて間もない頃、アンナさんに運命的な出会いが訪れます。そのお相手は、5月に結婚したアートディレクターの男性でした。

「最初は一緒に暮らすことに抵抗があったんです。やっぱり胸や髪の毛がない自分を見られるのが怖かったから。『きっと見たらびっくりするだろうから』と彼に伝えると、何度も『大丈夫だから』と言われて。最終的に覚悟を決めて傷あとを見せたら、『全然僕は平気。何とも思わないよ』と言ってくれました」

「大丈夫だよ」と言ってくれる人が、今はすぐそばにいる。その存在は、アンナさんの日々にどんな変化をもたらしたのでしょう。

「彼に、月1回の通院に付き添ってもらったことがあるんです。それまでは『私はおひとりさまでいい』と思っていたし、いざとなればママも娘もマネージャーさんもいる。だけど、夫婦で通院している患者さんを見かけて、どこかうらやましく思っていたんですよね。それで、お願いして付いてきてもらったけど、彼の方が病院の雰囲気に気圧されたのか、帰りはぐったりしちゃって。『もういいよ』と言って、今はひとりで通っています(笑)」

そんなふうに笑い飛ばす姿も、アンナさんならでは。がんとわかったときから今に至るまで、支えになっているのは、「自分自身」だと話します。

「私はずっと『自分を支えるのは自分しかいない』と思って生きてきました。どんなに仲のいい家族でも病気を治せるわけじゃないですし。がんだとわかったとき、もし家族がいなかったら、もっと気楽だっただろうと思ったこともあります。ママなんて泣いてばかりで、逆に私が励まさないといけないくらいだったから(笑)。よく『強いですね』と言われますが、強いというより、人に頼らない生き方しか知らないだけ。父(梅宮辰夫さん)も厳しかったですし、皆さんが思うほど甘やかされて育ったわけでもないんですよ(笑)」

それでも折れそうになったとき、アンナさんはどのように心を立て直してきたのでしょうか。

「自分に素直になること。がまんせず、泣きたかったら泣く、怒りたかったら怒る。それがベースにあるから、がんのことも公表しました。隠していたら世の中も変わらないし、周りも変わってくれないですから」

SNSを通じてリアルタイムで治療や暮らしについて発信し続けてきたのは、誰かにとっての励みや希望になれば……という思いがあったから。

「すべて治療を終えてから、『実はがんでした』と話す方法もありますが、それだと治療中の人が見たときに、『この人は治っていいな、私は治らなかったらどうしよう』と思ってしまうかもしれない。それよりも現在進行形で『今、一緒にがんばってるんだ』と思えた方が、力になるだろうから。通院先でも『SNSを見て励まされました』と声を掛けてくれる人がいて、発信してよかったと思っています。結婚についてもオープンに話していますが、それは自慢したいわけじゃなくて。彼は60歳、私も53歳と決して若くないふたりでも結婚はできるし、幸せに暮らしていけるんだよ、と伝えたいから。SNSに限らず、今後も同じような状況にいる人の励みになることを続けていきたいです」


撮影/天日恵美子 ヘアメイク/薄葉英理[ロッセット] 文/工藤花衣
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