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大人のおしゃれ手帖 11月号

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大人のおしゃれ手帖
2024年11月号

2024年10月7日(月)発売
特別価格:1480円(税込) 
表紙の人:西田尚美さん

2024年11月号

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【神野三鈴さん】
連載 「ひとつひとつ 〜大いなる目玉〜」

大人のおしゃれ手帖編集部

【神野三鈴さん】 連載 「ひとつひとつ 〜大いなる目玉〜」

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肉体の老いは忍足どころか、どすんと音をたてて近づいてくるのに、自分の中の少女、いえ子どもの心はちっとも老いていかない、そんなバランスによろめきながら、
だからこそみつけた日々の「素敵」をお届けしたくて始まったこの連載、数々の荒波を乗り越えて来たあなたへの2回目のラブレターです。


我が家から30分ほど歩けば由比ヶ浜の海に出る。
冬の海は乳白色の液体が空から流れたように陸との境も曖昧だ。

今は色が消えた砂浜に立ちながら、私は海の向こうならぬ海の中に広がる世界に思いを馳せる。
そういえば12年前にこの地に戻って来てからまだ海で泳いでいない。

【神野三鈴さん】 連載 「ひとつひとつ 〜大いなる目玉〜」

裸で犬と走り回った海岸沿いは当時はまだ国道はなく松林だった。獲れたてのシラスを海辺で窯で茹でていて、漁師さんが両手いっぱいに茹でたてを分けてくれた。海の反対側の景色は大分変わったけど、やはり懐かしい特別な海岸だ。

この海は幼い頃、最高のバディだった柴犬のチルと姉と毎日散歩していた海だ。
我が家のあった極楽寺の切り通しを抜けた由比ヶ浜で自分と同じぐらいの大きさのチルとずぶ濡れになって遊んだ。今も屈強な太い足はこの頃作られたと思う。

犬といた裸ん坊の子どもはやがて大人になり、ご多聞に漏れず、人生の試練という荒波に次々と飲み込まれ、疲れ果てたところに来た特大のやつにやられてしまい、ある日壊れた。本当に文字通り、心も体も動かなくなってしまった。

気がつけば、アメリカと日本の遠距離夫婦だった夫との関係も壊れかけていた。

なんとかしなくては、と夫が真冬の日本から南の島への旅を計画した。
夫婦で仕事抜きの旅行なんて初めてぐらいなのに無反応か突然泣き出す私。
辛く、なんとかしたいのだけど自分では制御不能。白い砂浜でどんよりとうつむいて、海藻をひたすら指に巻きつけていた。

唯一、この時期出産のために集まった鯨達が上げる潮柱のあまりのエネルギーに反応して立ち上がったくらい。そして次の日、私達はホェールウォッチングツアーの船の上にいた。

私が鯨に反応したのを見逃さなかった夫が、申し込んでいたのだ。

私は一番後ろの船尾の席に無気力に座っていた。
船長は録音した鯨の鳴き声を流したり探知機を使ったりして、何とかお目文字させようと頑張ってくれるのだけど大海原は静かなまま。
あきらめて陸に戻りかけた時、遥か前方で潮柱が上った。

私と夫以外の15人ほどのツアー客全員が船首に駆け寄った。
その時だった。

私はざわっと何かの気配を感じて船尾から海を覗いた。
船尾の周りだけ真っ黒だ。不思議に思い見つめていると、その黒いところがどんどん広がっていき船の後方遥か彼方まで真っ黒になった。

覗き込むと、海の中からだれかこちらを見ている!
大きな目と目が合ったのだ。

目の持ち主は体を横たえ、片目で明らかに意思を持ってこちらを見つめている。
その目は優しくて、慈愛に満ちていて、でもすべてを見抜かれているような怖さがあって、妙に懐かしい目だった。

私達は身動きも声も出せずにただ、その大きな存在の目と見つめ合っていた。
とても長く感じていたけれど、もしかしたら数十秒の事だったかもしれない。

その目の持ち主がゆっくり体勢を変えて深い海の中に去って行くまで静かに見送っていた。

気がつくと私達は二人とも泣いていた。泣きながら手をつないでいた。
久しぶりに夫の存在に触れ、外の世界が〝ある〟という感覚が蘇った。自分の事でいっぱいだった私の視界が広がっていくような。彼も苦しんでいたのだと。

心がまた動き始めた瞬間だった。
そして突然現れた大きな存在に、畏怖の念と弱った人間への情けのようなものを感じて感謝の気持ちが溢れてきた。

【神野三鈴さん】 連載 「ひとつひとつ 〜大いなる目玉〜」


もちろんそれですぐ元気になったわけではないけれど、止まっていた針がゆっくり動き出した。
そしてあの日から海の中の世界に畏敬の念が生まれた。

あんなに巨大であんな瞳を持つ生き物がこの海に棲んでいるなんて。海って凄い。
地球って凄い。
この世界は目の前に見えているものだけじゃない。

とてつもなく大きな存在、大きな自然の姿に触れると、自分を覆い尽くしていた問題がふっと小さく感じられる。
そして自然が循環しているように、自分もまた再生して新たな一歩を生き直せるのだと。

【神野三鈴さん】 連載 「ひとつひとつ 〜大いなる目玉〜」

3年前、私が脳の開頭手術をする直前に、パリから鎌倉に遊びに来た親友夫婦が御守りにくれた、大嶺實清さんの作品。目玉ちゃんと命名。

 

MISUZU KANNO
1966年、神奈川県鎌倉市出身。第 47 回紀伊 國屋演劇賞 個人賞、第 27 回読売演劇大賞 最優 秀女優賞を受賞。主な出演作に舞台「メアリー・ ステュアート」「組曲虐殺」、映画「LOVE LIFE」「 37 セカンズ」、ドラマ「マイファミリー」などがある。


文/神野三鈴 撮影/枦木功[nomadica] ヘアメイク/奈良井 由美

大人のおしゃれ手帖2024年1月号より抜粋
※画像・文章の無断転載はご遠慮ください

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