【付録コラボで注目!】猪熊弦一郎さんってどんな人?
JR上野駅の壁画や三越の包装紙のデザインで知られる昭和期の画家・猪熊弦一郎氏。
『大人のおしゃれ手帖』8月号・8月号増刊では、雑誌付録としては初のコラボレーションを実現し、多くの反響を呼んでいます。
猪熊ファンはもちろん、初めて作品に触れたという読者からの「もっと猪熊さんについて知りたい」という声を受け、香川県にある「丸亀市猪熊弦一郎現代美術館」で学芸員を務める古野華奈子さんにお話を伺いました。
約70年にわたるキャリアの中で
作風を変化させていった猪熊氏
地元の香川県では親しみをこめて「いのくまさん」と呼ばれる猪熊弦一郎氏。
無類の猫好きとして知られ、猫をモチーフにした作品も多い猪熊氏ですが、そのキャリアにおいては、猫にとどまらない多彩な作品を残しています。
学生生活を送った東京からパリ、ニューヨーク、ハワイ……と拠点を移し、90歳で亡くなるまで精力的に創作を続けた猪熊氏の経歴を追いつつ、作風の変化につながる転機を探りました。
<猪熊弦一郎氏の年譜>
1902年 香川県高松市生まれ
1922年 東京美術学校(現 東京藝術大学)に進学
1926年 帝国美術院第7回美術展覧会に初入選
1936年 新制作派協会(現 新制作協会)を結成
1938年 フランスに遊学(1940年まで)。アンリ・マティスに学ぶ
1948年 『小説新潮』の表紙絵を描く(1987年まで)
1950年 三越の包装紙「華ひらく」をデザイン
1951年 国鉄上野駅(現 JR東日本上野駅)の大壁画《自由》を制作
1955年 再度パリでの勉学を目指し日本を発つが、途中滞在したニューヨークに惹かれそのまま留まることとし、約20年間同地で制作する。
1975年 ニューヨークのアトリエを引き払う。その後、冬の間をハワイで、その他の季節は東京で制作するように
1989年 丸亀市へ作品を寄贈
1991年 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館開館
1993年 東京にて逝去(90歳)
「お前はデッサンがない」
と言われた学生時代
幼少期から「絵の上手な子がいる」と評判だったという猪熊氏。
小学生時代には教師の代わりに絵のお手本を描くこともあったそう。画家としての資質はどのように育まれたのでしょうか。
「猪熊は母を早くに亡くし、教育者の父のもとでのびのび育てられました。東京美術学校(現在の東京藝術大学)の彫刻科に通っていた従兄弟の影響も大きかったようですね。画家になりたいと父親に打ち明けたときも特に反対はされず、どうすれば東京美術学校に入れるのかを調べてくれて。ただ当時は、デッサンとは何かも知らなかったところからのスタートだったそうです」(古野さん)
東京美術学校に入学した後は、洋画家の藤島武二氏に師事。多くのものを教わったそう。
「藤島先生の教え方は非常にユニークなもので、学生たちが石膏デッサンをしている教室に来て、全員に『お前はデッサンがない』とだけ言って出て行くんです。でも猪熊は非常に素直で真面目な性格なので、それはどういう意味だろう? と考え抜いた。その結果、形を正確に写し取るだけでなく、本質を理解しなければ絵にはならない、と解釈したんです」
画家としてのキャリアの初期は、人物像を描くことが多かったそう。
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猪熊弦一郎 《パレットを持つ女》 1931年 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館蔵 ©公益財団法人ミモカ美術振興財団
憧れのパリへ。
アンリ・マティスとの交流も
その後、大学を中退した猪熊氏は、当時もっとも権威のあった「帝展」で入選や特選を重ね、画壇でも認められるように。1938年には念願の渡仏を果たします。
「当時、画家を目指す人は“いいところのお坊ちゃん”で、学生時代に留学する人が多かったのですが、猪熊は教師の息子ですから、そこまで裕福ではない。自分でお金を貯めて、やっと30代半ばに憧れのパリに行けたんです。マティスとの交流も有名ですが、実際に会ったのは3回だけ。2回目に自分の絵を額縁に入れていったら、『額縁に入れないと良く見えない絵はダメだ』『お前の絵は上手すぎる』と言われてしまう。真面目な猪熊ですから、その言葉についてもすごく考えたんです。そのときにたどり着いた答えが、技術で絵を描くのではなく、自分を出し切らないとダメなんだ、というもの。それは一生、猪熊が大事にしていた考えですね」
フランス遊学時代に描かれた作品のひとつ。
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猪熊弦一郎 《フラミンゴ楽園》 1938年 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館蔵 ©公益財団法人ミモカ美術振興財団
戦場においても
美しいものを見いだそうとした
第二次世界大戦の開戦で帰国を余儀なくされた猪熊氏は、従軍画家としてフィリピンやビルマ(現ミャンマー)へと派遣されます。戦争についてはほとんど語ることはなかったという猪熊氏ですが、戦地においても穏やかで笑顔を絶やさなかった……というエピソードが残されています。
「もちろん何も感じていなかったわけではないのですが、基本的にはすごくポジティブな人。だからこそ、戦場においても常に美しいものを見いだそうとしていたと思うんです」
人々の暮らしに
美しいものを届けたい
戦後は、よく知られる上野駅の壁画や三越の包装紙、「小説新潮」の表紙絵、家具のデザインなど、暮らしと密接に関わる仕事を手がけるように。
「猪熊は、『人の暮らしに美しいものを届けたい』という考えを強く持っていたんです。そこには、戦争画を描いたことで芸術の持つ力を目の当たりにしたことが、大きく影響しているのでないかと。その力をいい方向へ使うこともできると考えて、そうした仕事を積極的に引き受けていったのだと思います」
三越の包装紙「華ひらく」
1950年に生まれた三越のオリジナル包装紙。当初はクリスマス期間限定の予定が、評判がよかったために定番となったそう。デザインを受け取りに来たのは、当時三越宣伝部の社員で、のちに「アンパンマン」の作者となるやなせたかし氏。猪熊氏は型紙を切ってテープで紙に貼ってあるデザインを渡し、「文字は君が書いといて」と伝えたところ、やなせ氏が「Mitsukoshi」と書いたそうで、包装紙が完成しました。
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画像提供/株式会社三越伊勢丹
JR上野駅の大壁画《自由》
戦後の代表作といわれる、JR上野駅の壁画。スキーを持った人、馬、犬、牛……といったモチーフがにぎやかに描かれています。
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上野駅中央改札壁画《自由》1951年 撮影/高橋 章
椅子のまわりでくつろぐ猫が愛らしいTシャツ。描かれた椅子は自身がデザインしたものとされています。
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撮影/中島千絵美 スタイリング/石井あすか ヘア&メイク/大西あけみ モデル/香菜子
多分野のクリエイターが集った
ニューヨークの自宅
1955年、ふたたびパリへ向かおうと日本を発った猪熊氏ですが、建築家の吉村順三の勧めで立ち寄ったニューヨークに魅了され、パリ行きをやめてニューヨークに拠点を移すことに。
「エネルギーに溢れた街で暮らすなかで、画風も具象から抽象へと変化していきます。先ほどもお伝えしたように、素直な人なので(笑)。そのときの環境から影響を受けて、素直に作品にも反映させていくんですね。
アメリカでは音楽家、ダンサーなどジャンルを超えて多くのアーティストと交流を持ちますが、なかでもイサム・ノグチとは深い友情で結ばれていたようです。そうした猪熊の社交面を支えていたのは、実は妻の文子さん。料理上手な文子さんがおいしい手料理を振る舞う猪熊邸には、いつも友人たちが集い、『フミ・レストラン』と呼ばれていたそうです」
「美が分かる人」を育てたい
20年間、ニューヨークで過ごした猪熊氏は、1970年代に日本へ帰国。冬はハワイ、それ以外の季節は東京で制作活動を行うことに。
1993年に90歳で亡くなる直前まで制作活動を続けます。その少し前となる1991年には、幼少期を過ごした香川県丸亀市に美術館を開館。約2万点の作品を寄贈しています。
「美術館を作るにあたって猪熊が考えたのが、『美が分かる人を育てたい』ということ。美が分かる人は、人の気持ちが分かる人であり、そうした人が増えることで世の中はもっと平和になる。そうした猪熊の思いが込められているんです」
丸亀市猪熊弦一郎現代美術館の外観
猪熊氏の作品はもちろん、現代アートの企画展も意欲的に開催。丸亀駅前という立地は、「人々が気軽に立ち寄れるように」という猪熊氏の願いから。
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撮影/増田好郎
なお、ご紹介した《パレットを持つ女》や《フラミンゴ楽園》などの絵画は、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館で現在開催中の常設展「猪熊弦一郎展 人や動物や物々」(~2024年9月23日)にて実際に見ることができます。
この夏の旅行などにぜひ訪れてみては?
丸亀市猪熊弦一郎現代美術館
〒763-0022 香川県丸亀市浜町80-1
(アクセスはこちら)
0877-24-7755
開館時間/10:00-18:00(入館は17:30まで)
休館日/月曜(祝休日の場合はその直後の平日)、年末12月25日から31日、および臨時休館日
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文/工藤花衣
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※この記事の内容および、掲載商品の販売有無・価格などは2024年8月時点の情報です。販売が終了している場合や、価格改定が行われている場合があります。ご了承ください
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