それぞれの更年期 CASE 3
〜山田瑞子さんの場合〜
閉経前後で心や体が大きく変化する「更年期」。
英語では更年期を「The change of life」と表現します。
その言葉通り、また新たなステージへ進むこの時期をどう過ごしていったらいいのか――。
誌面連載「それぞれの更年期」では、聞き手にキュレーターの石田紀佳さんを迎え、
さまざまな女性が歩んだ「それぞれの更年期」のエピソードを伺います。
お話を伺ったのは・・・
山田瑞子さん
1964年生まれ。銅やアルミを使った作品を発表する金工作家。東京芸術大学工芸科彫金専攻卒業。
同鍛金研究室研究生修了。
英国の大学院大学「Royal College of Art」、「Edinburgh College of Art」でアーティストインレジデンス事業に参加。2005年からは、多摩美術大学非常勤講師を務める。
http://mizukoyamada.com/
「更年期」を意識せずに過ごす日々
「更年期の症状って何もなかったわ。母譲りの体質かもしれない。気づいたら更年期を過ぎていたって感じで」 山田瑞子さんはきっぱりという。
これまでインタビューしてきた中でも、ホットフラッシュや不定愁訴などの更年期障害はなかったという人は多い。
けれども、「閉経して楽になった、子育てがひと段落して自由になった」という前向きなことも含めて、この時期には、体調や心境の変化のある人が大半だ。
ところが瑞子さんは「月経はずっと順調だったので、閉経してとくに楽になったってこともない」し、仕事の仕方も変わらないという。
瑞子さんは金工作家。鍛金は重労働だが、年齢によるダメージはないという。
「男の人のほうが力があるから関節への負担があるかもしれない。私が思うに、腕力は男女で差があっても、関節の丈夫さはあまり変わりがないんじゃないかな」
更年期を過ぎても、特別なことは何もないという。「私はこの取材にふさわしくないわね」と。
しかし、しばらく話していると一つだけ、もしかしたら更年期の影響かもしれないという症状があった。
50歳くらいのころにヘバーデン結節になったと言って曲がった指を見せてくれた。
「父の家系では女性がリウマチになって苦しんでいる人が多かったの。だから指先が曲がっているのに気づいて、このまま酷くなって鍛金が続けられなくなったら、絵を描こうかなぁ、子どもの頃から憧れていた絵本作家を目指すなら今なのかなぁと一時期思い悩んだけど」
その頃、整形外科の夫を持つ友人に勧められて大豆由来のエクオール含有食品を飲み始めた。
症状は緩和したわけではないが、急激に酷くなることもなく今に至っている。
「症状が進まないうちにせっせと金工の仕事に励んでいるわけよ(笑)」
鍛金の技法を使った膨らみ豊かな銀の指輪と彫金の技法で絵を描いた真鍮のブローチ(写真上)と
彫金の技法で人の顔を描いたブローチ(写真下)。
ブローチはコロナ禍の自粛期間の中で、愉快な表情を描きたくなって作ったのだそう。
「嫌なこと」は口にしない
実は私は瑞子さんとは20代の頃からの付き合いで、彼女が40代の前半に耳が聞こえなくなって入院したことを知っていた。
金属を叩いて大きな音にさらされる鍛金という仕事柄か、何か精神的なストレスがあったのかと心配したが、当時は原因については聞かずにいた。
今回のインタビューで、もしかして更年期とも関係あるかと尋ねると、「更年期が原因ではないでしょうね。たぶん、専門学校で講師をしていたときに上司から酷い虐めにあったからよ」と打ち明けてくれた。
酷い経験だったが、その事件でわかったことはあった。
そのひとつに、 「最初は、こんなことがあった、あんなことがあったって、周りの人に吐き出していたので、私にはストレスはないと思っていたの。でも、嫌なことを人に話すことって、自分の声で嫌な経験を繰り返し自分の耳に刷り込むようなもの。片耳が聞こえなくなって、それがよくないと考えるようになって」
耳の治療中も、回復した後も、「嫌なこと」を口にするのはやめたという。
自分が被った辛い出来事やそれに伴う感情を、外に出して、受け入れられて、癒される場合もあるが、そうでないことも多い。
被った出来事を表す方法もさまざまで、外に出す、出さない、の間には、無限のグラデーションがある。
今が人生一番の試練の時
更年期の体や心の変化があってもなくても、今の瑞子さんにとってはそんなことはたいした問題ではないのだろう。
「今、母の介護が人生の一番の試練だわ」 2021年1月に89歳の父を見送り、母の礼子さんと二人暮らしになった。
仕事上では肩こりなどはなかったが、ここ半年は「布団干しでずっと肩が痛いのよ」と、首と肩を回した。
「パパが亡くなって一年は大丈夫だったけど、(母が)痔の治療をした後がよくなくて。ヘルパーさんをお願いするにしてもわがままだから難しい。ママはパパにおんぶに抱っこだったって、よくわかったわ。なんでも頼っていたのよ。今でも、ママは『パパ、パパ』って呼ぶから、私はパパではありません!って」
彫刻家だった父とジュエリー作家だった母と暮らしながら、瑞子さんも作家活動をしてきた。
「ママはずっと仕事をしてきたから、主婦らしいこともお母さんらしいこともしていないの。私はパパに育てられたみたいなものよ。だからこそ、普通の主婦になりたかったんだけどね」
彫刻家とジュエリー作家のご両親と暮らすことは、私には計り知れない喜びと苦労もあったのだろう。
友人だからこそ微妙なところをつつくのは憚られるので、実際に瑞子さんの中にどういう思いが巡っているかはわからない。
けれども、一般論としては、尊敬と反発、愛と憎悪が拮抗するような感情を私たちは母親に抱く。
きれいごとだけではすまないところがある。
母でなくても、もっとも身近な人の介護の最中では、過重な肉体労働だけでない、さまざまな責務、そして心理的な圧力にも見舞われる。
母の介護を乗りこえた先は?
学生時代に金属の仕事を選んで以来、切れ目なく創作を続けてきた。
作家の両親の元で育ち、自分も作家として歩んできた瑞子さんにとって、制作活動はごくあたりまえの行動なのだろう。
親が元気だった頃のように自分の時間を使えなくても、制作は続けている。
自宅アトリエで鍛金の仕事をする瑞子さん。
一枚の平たい銅の板を伸ばしながら叩いて、絞って立体にし、壷状にする。
鍛金と聞くと激しく金属を叩くようだが、瑞子さんはやさしく撫でるように打つ。
まるで銅がとても軟らかでしなやかな素材のように見える。
瑞子さんらしい造形の妙と槌目の美しさが生まれる。
実はインタビューの前日に「母の介護が人生の一番の試練になっていて、この取材は、母の介護を乗りこえてからお受けすればよかったと思っています」とメールをもらっていた。
にもかかわらず、久しぶりに瑞子さんのアトリエに行って、母である礼子さんの気配を感じながら、踏み込み切れずに話を伺った。
そして改めてこのメールの行間に、瑞子さんの言葉にできない思いがあるのだと感じている。
同じではないが、私も似たような時期にいる。
父を亡くし、いずれ母を亡くし、自分も年を取り、その先に何があるのかわからない。
ただ、私たちはこれまで以上に死と近く、日に日に近くなって生きていくのだろう。
このインタビューを終えて、思い出して中勘助の随筆集を手に取った。
家族の看護と死の看取りなどを綴ったものだ。
幼いころの感受性を描いた『銀の匙』の作者が、晩年にかけて書いた断片を瑞子さんに贈りたい。
〜私を支えるもの〜
もともと字を書くのが好きで、6年前に始めた習い事が書道。
教室にともに通う、小学校から高校まで一緒だった友人との「どうでもいいようなおしゃべり」も瑞子さんをリフレッシュさせてくれる。
子どもの頃、父が作ってくれた、もう指に入らない指輪。
「いつも見ているわけでもないけど、確実に自分が大切にされていたなあ、と思い出せるもの」。
温かい気持ちになるという。
一番左は、友人の遺作集。「早くに人生を終えなければならなかった人もいるのだから、生きている自分が頑張らなくてどうする」と、瑞子さんを奮い立たせてくれる一冊。
ほかの2冊は、子どもの頃から大切にしている『イタリアのむかしばなし カナリア王子 イタロ・カルヴィーノ再話』安藤美紀夫訳(福音館)とEllie Simmons 作『FAMILY』(洋書)。
聞き手・石田紀佳さん
手仕事と自然にかかわる人の営みを探求するキュレーター。
朝日カルチャーセンターなどで季節に沿った手仕事講座を開催。
シモキタ園藝部が運営するハーブティーの店「ちゃや」にも携わる。
撮影/白井裕介 文/石田紀佳 編集/鈴木香里
※大人のおしゃれ手帖2023年2月号から抜粋
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