マリメッコの「ウニッコ」を生んだ
マイヤ・イソラ、人生の歩き方
時代を超えて愛され続けるマリメッコ社のファブリック。
そのデザインの多くを手がけたデザイナー、マイヤ・イソラのドキュメンタリー映画がこの春、公開されます。
美しく力強いデザインはマイヤの人生そのもの。
多くの示唆に富んだマイヤの生き方を知ってみませんか?
北欧を代表するブランド「マリメッコ」。
創業前の1949年から38年間で提供したデザインは、500点以上。
マリメッコを世界的なブランドに押し上げた立役者の一人がデザイナー、マイヤ・イソラです。
ケシの花をモチーフにした「Unikko(ウニッコ)」といえば、すぐに頭に浮かぶ人も多いのではないでしょうか。
洗練された大胆な構図、感覚を刺激する鮮やかな色彩。
マイヤが描いたデザインは、発表されてから70年以上を経た今もなお新鮮さに溢れています。
そのデザインには多く触れてきたものの、それを生み出したデザイナーがどんな人物だったのか知る人は、そう多くはないかもしれません。
戦争を経て社会が大きく変化した激動の時代を生きながら、膨大な数の作品を生み出しつづけたマイヤ・イソラという女性が、何を糧に、どう創作を続けたのか。
その人物像に迫ったのが、公開中のドキュメンタリー映画『マイヤ・イソラ 旅から生まれるデザイン』です。
家族に宛てた手紙、本人の日記、娘の証言、創作風景が切り取られた貴重な写真や映像からは、マイヤがいかに情熱的に自分に正直に生きたのかがわかります。
フィンランドの南部、農家の3人娘の末っ子として生まれたマイヤ。
13歳で街へ出て一人暮らし。19歳で娘を授かり結婚、そして離婚。
娘を母に預けて旅を続け、旅先で恋を重ね、3度の結婚。
事実だけ連ねると、マイヤがセルフィッシュな人物だと感じる人もいるかもしれません。
でも、映画を見進めるうちに、その考えが変わるはずです。
純粋に自由を求め、得たものすべてを作品に昇華する。
だからこれだけの傑作が残せたのだと。
マイヤの代表作となった「ウニッコ」をはじめとする花シリーズ。
マリメッコの創業者・アルミは当初、花モチーフは採用しない方針だったが、このデザインを見て考えを改めた。
マリメッコ社の創業者、アルミ・ラティア。
マイヤの描く作品に絶大なる信頼を寄せていて、意見の相違がありマイヤが会社を退社したあとも、仕事を依頼しつづけた。
芸術大学のコンクールにマイヤが出した作品。
初めての海外旅行先のノルウェーで見た壺をデザインした。
この作品をアルミが購入。マリメッコ社のデザイナーになるきっかけに。
プロになる前のマイヤが描いたラフスケッチ。
出会う人、ファッション、カルチャー、時代のムードなど、さまざまなものから刺激を受け、マイヤは日々絵を描き続けた。
©2021 Greenlit Productions and New Docs
家族とマイヤ
自分の生き方を率直に伝え貫くマイヤの愛の形
男の子がほしかった両親にはあまり期待されていなかったという思いがあったマイヤ。
家族と仲が悪かったわけではないものの、子どものころから「両親とは少し距離があった」と語ります。
いっぽうで、「存在感がなかったぶん、自由でいられた」
「孤独というものを私は恐れない。むしろ私の望むものであり、心の安らぎさえ覚える」とも。
19歳で娘のクリスティーナを出産。その後、夫とは離婚。
芸術大学へ進むことを決めたマイヤは、娘を母に預けて、また一人になります。
恋多き女性で、3度の結婚をしたマイヤですが、心の中には、いつも「誰にもとらわれず自由でいたい」という強い思いが。
かといって、家族を放っておいたわけではなく、離れて暮らす娘には、自分が何を感じ、今何がしたいのか、誰といるのか、手紙で率直に知らせています。
「大きくなってからは、恋愛についてもよく話した」と語るクリスティーナ。
母と暮らせない寂しさがどれだけのものだったかは、作中では描かれていませんが、その率直さに愛を感じていたはず。
母と同じく、マリメッコのデザイナーになったことからも想像できます。
一定の距離を取りながらも、深い愛情を噓なく表現する。
人との距離感が難しい現代だからこそ、マイヤの姿勢に学ぶべきことは多いのかもしれません。
1957年から1963年に発表された「自然シリーズ」のうち、1962年の作品「Kataja(カタヤ)」。
娘、クリスティーナの夏休みの課題だった植物採取を手伝う中で生まれたデザイン。
1979年頃、ヘルシンキでの個展を成功させたマイヤは娘、クリスティーナに仕事を手伝うよう頼み、デザインの共同制作をはじめる。
共同名義のデザインを発表していく。
マイヤとクリスティーナが共同名義で発表したデザイン。
写真の1984年Hiillos(ヒーロス)ほか、1984年Pu uska(プースカ)などのデザインが劇中にも登場する。
旅とマイヤ
旅することでしか得られないものその先に見えたもの
マイヤにとって初めての海外旅行が、ノルウェーのオスロ。
オスロの美術館で見た壺、それをモチーフにデザインした作品がきっかけで、デザインの世界に入ることになったマイヤは、その後も創作の源泉を「旅」に求め続けます。
地元フィンランド周辺の北欧諸国、フランス、スイス、イタリア、モロッコ、ドイツ、スペイン、ギリシャ、アルジェリア、アメリカなど、好奇心が赴くままに滞在先を変え、滞在先で恋をし、パートナーに出会い、そこから刺激を得て、創作に没頭しました。
マイヤが旅先で見たもの、感じたことのすべてが、私たちがよく知るデザインとなっています。
カウニスマキのアトリエ周辺を整備中、掘り起こした石から着想を得たデザイン「Kivet(キヴェット)」。
マイヤ初期の代表的なデザイン。
マイヤが有名になるきっかけになった「装飾シリーズ」より、1960年発表の「Dumbra(ダンブラ)」。
ファブリックデザインの傍ら、生涯で多くの絵画も残したマイヤ。
「絵のモチーフはありきたりのものでいい」。
部屋に飾った花、その日食べる野菜など、描くべきものは身近にある。
©2021 Greenlit Productions and New Docs
拠点を転々と変え、連絡が取りにくい僻地に暮らすことも。
マリメッコ社からの連絡が電報になったこともあったほどです。
地元の「フィンランドでは決まった思考や習慣に囚われてしまう」と感じていたマイヤ。
彼女にとって、「創作は生きている実感を得る唯一の手段」。
生きることに等しい「創作」の原動力となったのが「旅」でした。
世界中を旅しつづけたマイヤが最後に選んだのが、彼女にとって、初めてのアトリエであるカウニスマキの小さな家。
晩年は原点とも言えるその家で創作を続けました。
マイヤがどうしてその境地に至ったのかは、映画館で確認してみてください。
映画
『マイヤ・イソラ 旅から生まれるデザイン』
監督:レーナ・キルペライネン
出演:マイヤ・イソラ、クリスティーナ・イソラ、エンマ・イソラ
3月3日(金)より、全国公開中
【公式サイト】maija-isola.kinologue.com
編集・文/鈴木香里
大人のおしゃれ手帖2023年3月号より抜粋
※画像・文章の無断転載はご遠慮ください
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