〈能登半島地震応援企画〉
南果歩さんが行く
能登の手仕事を絶やさぬために、未来へ繋ぐ作家たちの取り組み
協力を集めて職人の仕事を守りたい
「世の中には僕の名前で作品が出ているけれど、お盆やお椀の木地をつくる職人さんたちの力がなければ、僕の仕事は成り立ちません」と話す塗師の赤木明登さん。
輪島の被害は深刻で、報道で見る朝市の火災跡だけでなく、何軒もの倒壊家屋がいまだ手つかずのままです。
そんな中、赤木さんは寄付や協力を集め、木地職人、池下満雄さんの工房を修復。まもなくの再稼働までこぎ着けたと言います。
「地域に4人いた木地職人さんのうち、若い2人は家族を養うため別の職に就きました。このままでは受け継がれてきた技術も文化も途絶えてしまうから、再建できるという例を、とにかく早くつくりたかったんです」
震災以前から交流のあった赤木さんの話に、果歩さんは深く頷きます。
もう一カ所、赤木さんが紹介してくれた四十沢(あいざわ)木材工芸の工場は、地震で建物が時計回りに回転するように揺れ、鉄骨も曲がり、再建はまだ難しい状況。
それでも、併設していたギャラリーが無事だったことを希望に、代表の四十沢さんたちは前を向いていました。
一方、金沢に避難していた赤木さんたちは、4月より輪島の自身の工房を再開できたところ。
建物は無事だったものの、倉庫の材料や自宅の器が地震で落ちてしまい、パートナーの智子さんは「大事なものだったから、泣きながら片づけました」と振り返ります。
自分の家より、池下さんの工房の片づけを先に進めていたと話す智子さんの言葉に、私たちにだって能登にできることがまだまだあるはずだとの思いが、自然とわき上がってきます。
果歩さんは「また来ますね!」と赤木さんたちに約束をして、能登を後にしました。
お伺いしたのは・・・
輪島塗 塗師
赤木明登さん
1962年、岡山県生まれ。中央大学文学部哲学科卒業。編集者を経て、1988年に輪島塗の下地職人のもとで修業、1994年に塗師として独立。『名前のない道』(新潮社)ほか著書多数。
写真/枦木功 原稿/石川理恵 協力/有永史歩
大人のおしゃれ手帖2024年8月号より抜粋
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