【インタビュー】「まったく楽しくなかった」早乙女太一さんが明かす、4歳からの葛藤と転機
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劇団☆新感線の舞台『髑髏城の七人 LAST STAND』で、〈捨之介〉役に挑む早乙女太一さん。4歳から舞台に立ち続けて30余年。幼少期の葛藤から、劇団☆新感線との出会い、そして35歳を迎えた今、どのように人生を楽しんでいるのか。過去を抱きしめ、未来へ進む言葉を伺いました。
目次
原点は「楽しくはなかった」幼少期の旅回り
4歳から大衆演劇の舞台に立ち続けてきた早乙女太一さん。華やかな芸能人生を想像しがちですが、幼少期を振り返る言葉は意外なものでした。
「毎日必ず公演があり、月末の休演日には自分たちで荷物をトラックに積み、次の土地へ移動します。照明や音響も自分たちで組み、翌月にはまた公演が始まる。その繰り返しでした。学校も1日2〜3時間しか行けず、友達はできませんでしたね」
それでも舞台は楽しかったかと尋ねると、「まったく楽しくなかったです」と苦笑い。
「楽しいという感覚はまったくなくて、何度も辞めたいと思いました。でも、その世界しか知らなかったし、ほかに生きる道がないと思っていたんですよね。20歳になったら役者を辞めて、バンドをやりたいと父に直談判したこともありました」
そんな過酷な日常のなかで転機となったのが、13歳の時に大衆演劇以外の外の舞台を観客として初めて目にした「劇団☆新感線」の舞台。演目は『髑髏城の七人〈アオドクロ〉』。雷に打たれたような衝撃だったと言います。
「それまで自分の劇団しか知らなかった僕にとって、新感線の舞台は衝撃的でした。時代劇でありながらロックでかっこよく、映像や漫画のようでもあり、腹から笑えるおもしろさもある。老若男女どんな人が見ても楽しめるエンターテインメントを届けている姿に圧倒されました」
その4年後、17歳で初めて新感線の舞台を踏みます。新感線に出演後、本格的に殺陣の練習を開始。新感線で学んだ見せ方や技を自分の劇団に持ち帰り、仲間に共有することで表現を磨いていきました。
今や圧倒的な美しさと迫力を誇るその殺陣は、過酷な葛藤を乗り越え、自らの手で掴み取った努力の証でもあります。
「外の世界に出たことで自分のいた場所を引きで見られるようになりました。自分が育った大衆演劇とも向き合って、今までやってきたことを活かし、変えていきたいと思うようになったんです」
苦しかった時間を否定せず、自分の糧にして表現する。その真摯な姿勢が、早乙女さんのお芝居を深みあるものにしているようです。
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