【特別インタビュー】吉本ばななさんに聞く
更年期、いま、これから
出産から待望の閉経へ
妊娠中にみつかった子宮筋腫は「赤ちゃんの頭かと思ってなでていたくらい」大きなチョコレート膿腫だった。
筋腫を取る手術はせずに、自然分娩で大きな4000gの男児を産んだが、39歳のばななさんにとっては無事といえる出産ではなかった。
恥骨離開をして2か月ベッドから起き上がれなかったほどの壮絶なものだった。
「昔の人が出産で亡くなることが多い理由がよくわかりました。ほぼ内臓のような胎盤を作って、それを排出するというのは体にとって大変なことです。今も私の体は100%回復していなくて、80%くらいです。恥骨離開は痛くて痛くて、先生がブロック注射を打ちましょうと言って、ほっとしたのに、夫が麻酔薬はだめだと言って……。でも産後、安静にできたのはよかった」
恥骨離開は治癒し、赤ちゃんとの甘い暮らしを満喫した。
しかし数年後に子宮筋腫の出血が増え、出かけるのも大変なくらいの大量の出血で貧血になった。「あまりにひどくて、鉄剤で補ったら胃を壊し、鉄瓶と鉄のフライパンを買いました。お湯を沸かしたり、料理をしたりして。それで治りました」
医者は閉経すれば子宮筋腫はなくなると言ったが、 「産んでみたら、もっと子どもが欲しい、何人いてもいいと思って」
だから閉経を早める治療はせずに、自分で自然療法を行って症状を軽減させた。
さすがに45歳を過ぎて、出産は体力的に無理だと悟り、まったく悔いなく49歳の閉経を「すっぱりと」迎える。子宮筋腫は消えていった。
「野口整体の野口晴哉先生が閉経は早ければ早いほどいいって言ってらしたし、やったー! って感じでした」
愛着のある街、シモキタの再開発には複雑な思いがあるが、線路だった空き地にできた「のはら広場」はほっとできる場所なのだそう。広場の管理をするハーブティーの店「ちゃや」の手作りドリンクも応援している。
51歳、よしもとばななから、吉本ばななへ
「親が生きているだけで子どもは守られている。例えば、人殺しをしても、基本親だけは、子どもを信じてくれるでしょ。よほどの理由があったのだろう、って。そういう人たちがいなくなるってすごいことです」
2012年、ばななさんが48歳のとき、父に続き母を亡くした。とてもなかよしの「お父さん」であり、文筆の才能を与え育んでくれた大尊敬する吉本隆明氏がこの世からいなくなり、まだまだ長生きしてほしかった母も7か月後に逝ってしまった。
そのころの思いや風景をばななさんはブログやエッセイにもたくさん書いてきた。
それは10年以上にわたる介護の過程も含めて、大きな、大きな出来事だった。
両親の死に先立つ前年の2011年には東北大地震の衝撃があり、翌々年の2013年には閉経。47、48、49歳のばななさんを取り巻く環境と体の変化、閉経前後のチェンジオブライフだ。
一方で息子は7、8、9歳と伸びゆく育ち盛り。
そして2015年51歳、育児が一段落したとして筆名を「吉本ばなな」に戻す。
出産を控えた2003年から12年間、ひらがなの「よしもとばなな」で書いてきたが、本来の小説の仕事に集中する決意を込めて漢字の吉本にしたのだ。
2016年には事務所を小さくして、「半引退」宣言。
事務所を維持するためだけに引き受けなくてはならない類いの仕事はしない。
「半引退」とは、隠居ではなくて「今からが本当の私自身の人生」として、書きたいものを書いていくということだそうだ。そのために切り捨てるべきものを捨てていった50代前半だった。
そうして2021年に出版された短編集『ミトンとふびん』(新潮社)において、ばななさんは、「ようやく自分が思っていたものに近いものが書けた」(月刊読書情報誌『波』インタビューより)と語った。
後日、この短編集は「谷崎潤一郎賞」を受賞した。
最新書き下ろし小説『はーばーらいと』(晶文社)。宗教2世の問題をベースにしているが、描くのは「人にやさしくある」ということはどういうことか。表紙絵は実姉で漫画家のハルノ宵子さんが担当。
晩年の自分の視点から今の自分を観る
「体の状態は若い頃よりもずっといい」と言いながら、 「今は死に向かっての一里塚に差しかかっている感じです。できないことが増えていってる。確実に体の可動域は減っています。
でも今の状態を若い時と比べて弱ったというのではなく、80歳、90歳の自分から見たら、最も元気でしょ。その視点からさかのぼって、今を観るようにしています」
両親や義父のそれぞれの人生から導かれた晩年の様子に接して、そして自分自身若い頃に「死にそうなことがあった」から、ばななさんは年を取った先からの視点で今の自分の様子を観ることができるという。
80歳、90歳までそれなりに元気で生きているかは本当のところはわからない。
「子どもが結婚して孫を見たいという希望はまったくありません。お嫁さんが温泉で裸を見せてくれるといいなあ、とは思うけどね(笑)」
ばななさんは「書くのはほっといても書くから」と言い、だから「希望」を問うた時も、あえて「ずっと小説を書きたい」とはいわないが、80歳、90歳で小説を書いているならば、今をどうするか、という視点で暮らしているようだ。
「70歳ですごくがっくりくる人がいますよね。そのころに大病すると、長持ちするのが難しい。でもそこから立ち直る人もいる」
けれども、ばななさんがこれまでの経験で実感しているのは、 「体はすごくよくできていて、それをよく理解できたら、何歳からでも、回復や健康を味わうことができる」ということだ。
そうであれば、私たちもすぐにでも、ばななさんのような視点(ばなな目線!)で今の体の様子を観たい。
そしてこの唯一無二の体を大切に理解して、その声を聞いて、それなりの健やかさで80歳、90歳になって、ばななさんの新作を読めたら?
そんな妄想をするだけで生きる力がわいてくる。
インタビューは、梅雨の晴れ間の最高に蒸し暑い昼間に行われた。
香港の取材旅行から帰ったばかりにもかかわらず、事務所からインタビュー場所までの1㎞ほどの道のりを、てくてく歩いてきてくださった。
強い日射しも厭わずに、夏は大好きだから、とワンピースをぱたぱたさせて。
〜私を支えるもの〜
「子どもが小さいときの絵ってとてもクリエイティブ。そのときにしか描けなかったんだなあ。私の『年齢が15才』とか、コメントが捏造されている感じがうれしい」とばななさん。
いつも見ているわけではないが、大事に取ってある。息子が4歳か5歳ころに描いたもの。
「捏造」とばななさんは言うが、透明な子どもの目から見た印象は真実だ。
体のメンテナンスに使っているヒーリングデバイス「CS60」。
「大学の先輩の高城剛さんが、CS60の開発者の西村光久先生をインタビューしているのを読んで、これは本物だと思いました。その日の偏りをその日のうちに自分で調整できるのがいい」。
悪い部分を押すとけっこう痛いそう。これで調整できないときには、プロの施術を受けることもある。
5年前から出している年間ダイアリー『BANANA DIARY』(幻冬舎)は、自身も使っている。ばななさんの詩のような、格言のような言葉がちりばめられている。これを作る前から、メモがたくさんできる手帳を愛用していた。
「出会った人からもらったものを貼ってどんどん厚くなっていく様子に、年を重ねている実感がわきます。1年たったら今年もよくやったなあと思えます」
聞き手:石田紀佳さん
手仕事と自然にかかわる人の営みを探求するキュレーター。朝日カルチャーセンターなどで季節に沿った手仕事講座を開催。下北沢園藝部が運営するハーブティーの店「ちゃや」にも携わる。
撮影/白井裕介 ヘアメイク/YOSHIKO(SHIMA) 聞き手・文/石田紀佳 編集/鈴木香里
撮影協力:シモキタ園藝部 ちゃや herbs & honey
※大人のおしゃれ手帖2023年10月号から抜粋
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