【インタビュー】更年期をどう過ごす?
長期休暇を経て開いた扉
閉経前後で心や体が大きく変化する「更年期」。
英語では更年期を「The change of life」と表現します。
その言葉通り、また新たなステージへ進むこの時期をどう過ごしていったらいいのか――。
誌面連載「それぞれの更年期」では、聞き手にキュレーターの石田紀佳さんを迎え、
さまざまな女性が歩んだ「それぞれの更年期」のエピソードを伺います。
お話を伺ったのは・・・
伊藤智子さん
高校卒業後ブラジルで日本語教師、帰国後会社勤務。1989年、外資系航空会社入社。1996年、出産。休職中の2021年に、京都芸術大学入学。2022年より、客室乗務員の仕事に復帰
突然の休職が新しい扉を開くきっかけに
2019年から、伊藤智子さんは3年近く仕事を休んだ。
新型コロナウイルス蔓延と、それに続くロシアのウクライナ侵攻の影響だった。
これまでに出産休暇のほか、世界情勢からの無給休暇を何度か経験しているが、30年以上働いてきて、これほど長い休暇は初めてだった。
「立ち止まるにはちょうどいい機会でした。いろんなことを考えて、落ち込んだりしながらも新しいことをしたりね。純粋に芸術教養を学んでみたくて、通信講座で大学生にもなりました」
休職期間中の最後には父を看取った。
そんな中で、仕事を続けるかずいぶん迷ったという。
あと数年で定年でもあり、辞めるという選択肢もあった。
しかし、智子さんは2022年の12月、職場に復帰した。
「期せずして休んだので、もう一度飛んでみて、続けるかどうか決めようと思いました」
復帰して3か月、今もまだ定年まで続けるかどうかを決めかねている。
「娘はもう社会人になったので、学資のためのお金が必要ではなくなったし、私自身の考え方は以前とは違うフェイズにあることは明らかなんですが、今の仕事を辞めて、何になりたいという目標もないんです。
でも目標も目的もないことが不安というわけでもなく、むしろ、決めないで、偶然出会う人や物事に自分がどう感じるかを確かめてみたいと、今は思っています」
コロナ禍での休職期間に大学の通信課程に入学した。
「芸術教養について座ってじっくり学ぶということがしたかったんです」。
今年、論文を書いて卒業になるが「まだ卒論のテーマが決まっていないんです」。
旅がもたらした心境の変化
「以前とは違うフェイズ」にいるという智子さん。
その心境の変化は、数年前に娘の七なな彩ささんの留学先のスウェーデンを訪れたことがきっかけになったかもしれないと言う。
ちょうど50歳のときだった。 「北欧はかわいい、きれいな人が多い……とかそんな感想になるんだろうなと、どちらかというと軽い気持ちでスウェーデンに行ったのですが、まったく違う深い興味を持ったんです。
ともかく心地がよくて、その心地よさはどこから来るんだろうって」
まずはマイノリティーに対する配慮に心打たれたという。
そして、1年の間に9回もスウェーデンに通いつめる。
「例えばですが、私は英語しか話せないんですけど、その場にいるのが全員スウェーデン人で、彼らの中に英語が片言の人がいたとしても、みんなが英語で話してくれるんですよ」
さらに、七彩さんが卒論のために学友たちにした「あなたの人生における優先事項はなんですか」というアンケートの回答が衝撃だった。
「”他者へのホスピタリティー”とほとんどの学生が書いたんですって!
スウェーデンの人の多くが、環境にも人にもやさしくありたいと思って行動するのは、こういう若者の意識にも現れているんですよね」
その後、52歳のときに七彩さんの卒業旅行でキューバに同行し、かの地の環境への取り組みや人のやさしさに触れる。
「キューバにはある意味貧しい人も多いのですが、彼らの目の美しさに心打たれました」
そしてコロナでの休職。
じつは智子さんは国際線の客室乗務員。
飛行機が運航しなくなって、空気がきれいになったというニュースに戸惑いながらも、そうだろうなと納得した。
「地球環境にとってはたしかに飛行機はいいことはないですよね。どうして人は移動するんだろうかとも考えました。でも、歴史を振り返ると、飛行機なんてない時代から、人はすごく移動してきたこともわかって……」
智子さんは人間の矛盾、自分の矛盾をそのまま受け入れながらも、自身を開いて、そして今、新しいフェイズにいる。
ジョブシェアと二人の母の支え
30代での出産を機に、勤務形態を二人で一人分のジョブシェアに切り替え、現在に至る。
「28日交替で働くんですが、こうすると、同じ時期に休むということがなくて公平です。お給料は半分ですが、仕事も半分なので続けてこられたと思います」
そうはいっても、長時間労働と時差によって自律神経の乱れは避けられない。
「フライト後の2日間は使いものにならないんですけど、月経前後の不調も更年期障害も感じませんでした。でも、時差ボケの感覚って更年期の症状とよく似てるんですよね」
仕事を半分にし、さらに実母と義母に支えられて子育てができたという。
「二人の母がいて、私はとても恵まれていました。でもそうでない人もたくさんいます。どんな人でも社会から必要とされて、気持ちよく循環できて、大切にされて、誰一人取りこぼすことなく、働いたり生きていけるといいなって真剣に思っています」
もう一度飛んでみて
智子さん宅のベランダには不織布製のコンポストが置かれている。
大学の通信課程のほかに、パーマカルチャー講座を連続受講したことがきっかけで生ゴミを土に還すことを始めた。
「最初の授業のとき、ミミズコンポストのミミズを直視することができなかったので、ミミズコンポストはあきらめました。でも今ではミミズを見られるようになって、この前は友人がミミズコンポストをお手入れするのを手伝えたの! 直接はまだ触れませんけど(笑)」
まるで少女のような目の輝きで、智子さんはうれしそうに話す。
しなやかでやわらかな感性は彼女の天性のものなのだろうが、更年期中の旅や、一度立ち止まったことによって、より鮮やかになったのかもしれない。
「去年の仕事復帰前のころ、自然のリズムで暮らす内容の本を娘に見せたことがあって。『ママ、私はこういう暮らしをしたかったの』と娘に言われて、実はすごくショックを受けました」
自分も感銘を受けた本とはいえ、「これまで私がしてきたことはいったい何だったんだろう」と落ち込んだという。
それでも智子さんは再び「飛んだ」。
「もう一度飛んでみて考えようと思って」という、「飛んで」という言葉が智子さんにはよく似合う。
空が似合うというか、空とともにある人なのだ。
娘の七彩さんが生まれたときから住んでいるこのマンションからは、広い空とともに夕焼けが見渡せる。
朝日よりも夕日が好きだと言いながら、 「こうやってね、見ていると、ゲリラ豪雨もよくわかるんですよ。一部分に黒い雲ができて、そこから雨が落ちているの」と、教えてくれた。
「空しか見えない」という仕事なのに、地上に降りても空を見ている。
こんなふうに大空がごくごく身近な存在なのは、職業柄ではなくて、智子さんが空をよんでいるからなのかもしれない。
「まったく違うフェイズにある」と言った人は、この先も飛行機に乗っているかどうかはわからないけど、これからもやわらかな羽で飛び続けるのだろう。
どんな空が待っているのか、誰にもわからない。智子さんは、だからこそ胸躍らせている。
植物の一生を「平等に美しく尊く」描いた、娘・七彩さんの作品。
「被写体である植物が枯れていく儚さも、虫や鳥に食われる現実にも目をそらさず観察していました」
〜私を支えるもの〜
「空しか見てこなかったから」と言う智子さん。
空は自分の心を映し、励ましてくれると同時に、人智を超えた大自然の力を教えてくれる。
娘の七彩さん。「幼いときからじーっと静かに絵を描いていたんですよね。その姿に、なんていうか癒されてきました」。娘と行った旅から学び、今も刺激を受け続けている。
智子さんが描くグラフィックレコード。50代になって、シンプルな絵と言葉で、日記や旅の記録などをつけてきた。「こうやって実際に手を動かして記すことで、自分が経験したことを、ああこうだったなぁと、何度でも感動がよみがえります」
撮影/白井裕介 聞き手・文/石田紀佳 編集/鈴木香里
※大人のおしゃれ手帖2023年6月号から抜粋
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