神野三鈴さんエッセイ「ふれるゆれるひびきあう」
なにを書こうかとめずらしく悩んでいたら、編集者さんが「深い関わりのある音楽はどうでしょう?」と提案してくれた。
子どもの頃から音楽は好きだったけれど、演奏や歌を勉強したことはなかった。母は歌が上手くて、子ども時代にラヂオで歌っていたらしい。その血を引いて姉や兄も音楽の才能があった。
あらゆるジャンルの音楽が流れている環境だったが、何故か私だけ独創的な父親の子守唄で育ったせいか(父の歌はどれも2小節目からめちゃくちゃな替え歌になっていた)、我が家初の音痴
と言われて育った。
そんな私が28歳のとき、初めて企画した阪神淡路大震災のチャリティコンサートでジャズピアニストと出会い、2か月後に結婚した。それから私の人生は音楽と切り離せないものになっていったのだ。彼のこともジャズも、それまでほとんど知らなかったけれど、その頃、様々な事情で音楽的にも生活的にも荒れていた彼の才能を応援したいと心から願い、一緒にニューヨークに渡り、朝から晩まで音楽漬けの日々を送った。
よく聞く話だけれど、彼と会った瞬間、「ああ、この人と結婚する」と感じ、もう考える間もなく、なにかに突き動かされるように行動していた。そのスピードにお互いの成長が追いつかず、いろいろ大変なことばかりだったけれど。不思議なのだが、漠然とふたりで「やらなければならないこと」が待っている感覚に追い立てられているようだった。
でも結婚してから一緒に旅をして経験させてもらった音楽の世界のなんと豊かだったこと!
役者をやっていて心から羨ましいと思うのが、音楽には言葉の垣根がない。人種や年齢、容姿で分けられることもほとんどない。才能があり鍛錬した唯一無二のアーテイストたちが、ジャズという言語を使って一期一会の会話をするのを聴いていると、人間ってとんでもなく素晴らしい生きものではないかと思えてくる。
そして、音楽を愛してやまない人たちの、受け取る感受性の豊かさに触れると、人間は音楽で心を通わせ合える能力(テレパシー)を持った、崇高な超生命体だと信じられるのだ。
どうして私たちは音楽で感情が揺さぶられたり、影響を受けたりするのだろう。同じ海の映像も流れる音楽が違えば、平和な凪の風景にも、危険を孕んだ嵐の前の(鮫が現れるね)不気味さにも変わってしまう。もちろん、その素晴らしい音楽を奏でる側も人間で、それぞれ悩みや問題を抱えた不完全な人たちなのだが。
ギリギリ世代的に、多くのジャズジャイアンツと言われるミュージシャンとともに、世界中の演奏旅行に行かせてもらった。昔は天才と呼ばれる人ほど個性が強くて難しく、ツアーが多いせいか家庭の問題を抱えている人も少なくなかった。音楽の才能があったために? と不憫に感じるとともに、音楽があるから彼はなんとか彼でいられるのかなとも。
旅の間に人柄に触れる度に、「ああ、音楽はやはり、その人そのものが現れる人間の芸術だ」と思ったり、逆になんでこの人にあんな演奏ができるんだろう?と正直、納得いかないこともあった。
夫にしても、人間世界で感じる無常には鈍感でも、流れてきた音楽の旋律には突然涙したりして、生まれた惑星が違うのかな? と感じたこともある。
それでも、生まれた星の違う未熟なふたりが、日常生活のなかで諦めずに向き合って、ぶつかって、お互いを理解しようとしてきたことが、彼の音楽に多少なりとも影響を及ぼしてきたことは確かだ。
ホスピスでのコンサート、コロナのとき自宅から配信したことも、恩返しのような気持ちで始めたことだが、逆に私たちが音楽に救ってもらっていた。
ホスピスでは、ある患者さんのリクエストが「さざんかの宿」という演歌だった。彼の大切な思い出のその曲を一緒に歌ったとき、全員で抱きしめ合っているような不思議な感覚になった。
お医者さまから、ホスピスでは多くの人が死を迎えるまでに、怒り、葛藤、和解、許し、感謝とステップを踏むが、音楽は怒りと葛藤の期間を短くする力があるようだと。
実際、毎月会う患者さんとの交流のなかで確かにそのことを感じた。
なにより、今、それを自分の音楽でさせてもらえる人生に、夫は心から感謝していて幸せそうだ。
音楽の神様が微笑んでくれているのかな。
ふっと30年以上前、不思議な力に突き動かされたことを思い出すのだ。

な歌を自由に歌い続けられますように。
あのめちゃくちゃな歌は父なりの「自由への賛歌」かもしれないと思うのです。

新しく立ち上げたレーベル「mo-Zone」からは、国や人種を超えた新たな才能の作品も続々とリリースしている。
MISUZU KANNO
神奈川県鎌倉市出身。第47回紀伊國屋演劇賞個人賞、第27回読売演劇大賞最優秀女優賞を受賞。代表作に舞台『組曲虐殺』、映画『TOKYOタクシー』、ドラマ『あんぱん』など。現在ドラマ『未来のムスコ』(TBS)が放映、映画『レンタル・ファミリー』、Hulu『時計館の殺人』が独占配信中。映画『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。』が3月27日公開予定。
text: Misuzu Kanno photograph: Isao Hashinoki[nomadica] styling: Kei Taguchi hair & make-up: Yumi Narai
大人のおしゃれ手帖2026年4月号より抜粋
※画像・文章の無断転載はご遠慮ください




