【インタビュー】更年期をどう過ごす?
50代の節目に決めた、シンプルで嘘のない生き方
閉経前後で心や体が大きく変化する「更年期」。
英語では更年期を「The change of life」と表現します。
その言葉通り、また新たなステージへ進むこの時期をどう過ごしていったらいいのか――。
誌面連載「それぞれの更年期」では、聞き手にキュレーターの石田紀佳さんを迎え、
さまざまな女性が歩んだ「それぞれの更年期」のエピソードを伺います。
お話を伺ったのは・・・
見城 佐知子さん
1973年生まれ。多摩美建築科卒業後、設計事務所で働く。現在はフリーランス。「手を動かし、心で感じる」をテーマにしているRoll House for LIFE主宰。ボディワーカーとしても活躍。2019年、フェアトレードタウン世田谷推進委員会を仲間と立ち上げ活動を始める。綿花の栽培もしており、同年、コットン畑を出身地の新潟県見附市に移す。
子どもたちも私も一人の人間
男子二人と女子一人の母である見城佐知子さんは、「子どもがいようといまいと、一人の人間」ときっぱりと言う。
「子どもたちも結局は自分の道を自分で選ぶし、私もそうです。そうありたいです」
出産からしばらくは子育てに没頭したが、「好きなことができないのを子どものせいにしたくない。楽しかったなあって死にたいじゃないですか」
死を意識するようになったのは、4年前に母を亡くしたことが影響している。
「母は病気なんてあり得ないくらい元気な人で。だから、亡くなる前にその闘病の様子を見ているほうが辛かった。母の死の悲しみは引きずっていませんが、人ってこんなに簡単に死んで、その人がい
なくなっても、生きている人の生活は普通に続く。それが不思議だなと感じました」
そして、どんなに強い人でも弱くなる時があり、いつどうなるかわからない。
では、自分はどうしよう? このままだらだら生きて時間を無駄にしたくないという思いが募っていった。
けれども、コロナ自粛もあって、なかなか動けず、もどかしくもある、そんな4年間を過ごした。
肉体的な不調より精神的な浮き沈みが
「更年期の肉体的な不調はないけど、精神的な浮き沈みが大きくなったみたいですね。不安が強くなったというのかな? もともとどちらかといえばネガティブな性格なのですが、よりポジティブになれなくなったような気がします」
一緒に「__KU_KO」というユニットで服づくりをしてきた同年代の友人たちも、精神的に前に動けないと、現在、活動はほぼお休み中。
「更年期ってこういうものなんですかね。なんかほんと、いろいろと微妙な感じです」
しかし、この浮き沈みのせいで、このままでいたくない、という気持ちは大きくなっている。
ただ行動できないというだけで。
かつて佐知子さんは、2011年の震災を機に、暮らしと生き方を見つめ直した。
当時、第三子の花依ちゃんが生まれたばかりで、生後4か月だった。
それまでは「いかにおいしく料理するか」が食事における主眼だったが、食品の背景が気になるようになった。
ほかにも、今より行動的だった佐知子さんは、出産後、熊本地震復興ボランティアに小さな娘を連れて行ったりもした。
また、葉山に畑を借りてオーガニックコットンを栽培し、糸紡ぎのワークショップをするようにもなった。
そして、生活をさらに見直すべくエシカルコンシェルジュ講座を受講して、環境問題を含めた暮らしの方法を人に伝えていった。
一昨年は自宅でやっているコンポストを、地域でも取り組む仕組みづくりができないかと、少し動き出したが、「別に自分がしなくても、ほかにやってくれる人がいたら、それでいいかなって思うようになりました」
焦りもあるが、自然に任せようという達観もあるようだ。
そんなこんなを含めて、微妙な時期に揺れている。
熊本地震の被災地で和綿を育てることをきっかけに始まったコットン栽培。
今では実家の新潟で、野菜づくりが得意な父に和綿と洋綿の栽培を手伝ってもらっている。
できた綿を佐知子さんが糸に紡ぐ。
「いつか母が残した織り機に手つむぎ糸をかけて、布を織りたい」
50歳を節目にひと皮むけられたら……
しかし、タイムリミットを感じることもある。
「50歳を節目に、もうひと皮むけないかなって思ったりもして」
佐知子さんは現在49 歳。
「感情にできるだけ、素直になりたいし、自分に嘘をつきたくない。これまで妥協してきたこともありますが、もっとシンプルに生きられたらなって」
自分が使う日用品についても、それをどう使うかに関しても、自分が目指す世界とのギャップをなくしたいとも思っている。
「エシカルというだけでなく、自分が生まれた星、地球に対して失礼のないように生きたい。未来の子どものためにというのとは違って、地球が健やかであるように振る舞えば、人間以外の生き物にも負担のない世界になるのではないかなぁと」
理想と現実、そこの矛盾をなくして生きたい。
それが自分に素直になることであり、佐知子さんが描く理想の50代の姿だ。
遊牧民のように身軽に
大学時代からずっと東京で暮らしてきたが、今後は移住も視野に入れている。
「移住した人ってどうやって決めたんでしょうね。私はまったく具体的なイメージはありませんが、何か縁があったところで暮らすのかもしれないし、2拠点になるのもいいかもしれない」
そう話す佐知子さんがいる部屋は、自らが夫と相談しつつデザインした開放感のあるリビング。
娘の花依ちゃんが、ブレイブボードで軽業師のようにその床を滑っている。
壁には佐知子さんの好きな展覧会や映画、スケッチなどがピンナップされている。
冬の日差しが眩し過ぎるほど満ちているせいか、どこか白昼夢観というか、旅先にいるような感覚になった。
きっと佐知子さんの旅も始まっている。
「いろんなところを転々とするのもいいですね。遊牧民的に身軽に歩きたいとも思います」
佐知子さんの話を聞いていて、以前インタビューした方から聞いた「林住期」が浮かんだ。
古代インドで人生を四期に分けた中の三番目の時期で、社会的家族的な義務から離れて、例えば林の中で瞑想をするように、自分と向き合い、本当にやりたいことを見つける。
そういう時期は、更年期に重なる。
「年齢的にもう遅いかなって思わないこともないけど、人生の選択はいろんなところ、時期にあると思います。子どもたちにも、違うと思ったら変化してもいいよね、って伝えたい」
子どもの前でもためらわず涙を流すようになった佐知子さん。
娘の花依ちゃんが「ママ、大丈夫だよ、ママ、かわいいよ」と撫でてくれる。
手仕事、ボディワークなど、佐知子さんが掘り下げたいものはすでにある。
これらが軸になって佐知子さんはいっそう素直に展開するのだろうか。
「母は染めや織物をしていたんです。母を追いかけたいとは思ってなかったのですが、じつは影響をすごく受けていたんだなと感じるようになりました。
できれば、母が生きている間に、染めや織りを教えてもらいたかったけど、かなわなかった。
父が木綿の栽培をしてくれているけど、いつまでも任せっぱなしにできないし、母の残したものもそろそろ整理しなきゃいけないんだけど……」
50代、佐知子さんは自分の道を自分で選ぶ大きな山場にさしかかっている。
サッカー少女の娘、花依ちゃんと満面の笑顔でおやつの準備中。
「サッカーに夢中だけど読書も好きで、日常生活の中での切り替えが私より上手なんですよ」。
3人の子どもを育てながら、その時々に自分らしい日常を送り、仕事をしてきた佐知子さん。
まだあどけないけど、頼もしい末娘は、まるで母のこれからを見守ってくれているよう。
〜私を支えるもの〜
美大の油科を出ている母が昔描いた絵を高校を卒業して東京に上京する際に持ってきた。
亡き母の絵を今も眺めて過ごしている。
ブライアン・イーノの音楽と、シェル・シルヴァスタインなどの絵本。
「ブライアン・イーノの音楽は心を平穏な状態にしてくれます」。
また、大切な人からの贈り物や、自分で買った絵本も、「ただただぼーっと眺めるだけでも、心が穏やかになります」
幼稚園の卒園の時にいただいたマリア像。
「クリスチャンではないのですが、子どもの時から心の支えのようにしてきました。今もこの像をこっそり大事にしています」
手作りの味噌と梅干しは作りつづけて10年弱。
「丁寧に暮らしたいと目指しながらなかなかできていないのですが、この2つを作り続けていることは、自分に◯をつけてあげられる理想の暮らし方の一つです」
撮影/馬場わかな 文/石田紀佳 編集/鈴木香里
※大人のおしゃれ手帖2023年4月号から抜粋
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