【インタビュー】フジコ・ヘミングさん
「心ときめくものに囲まれた」東京のご自宅を拝見
片道15キロの道のりを自転車で通った
フジコさんが50歳のころは、ドイツの音楽学校でピアノを教えていました。
「毎日自転車で片道15キロの道のりをハイデルベルクまで走った。楽しかったのよ、体も引き締まったし。演奏家としてのキャリアなんて、まったく頭になくて」
フジコさんの才能に気づいた人たちは、ニューヨークやロンドンをめざすよう説きますが、金銭的な余裕がなく、8匹の猫が心配で決心がつきませんでした。
「母の訃報が届き、東京の家が人手に渡るのがイヤで、帰国を決意したの。しばらくは無名で、聖路加国際病院でボランティアで演奏したこともありました」
それがやがて、フジコさんを世に知らしめるNHK『フジコ〜あるピアニストの軌跡〜』という番組につながり、CDデビューした『奇蹟のカンパネラ』は空前のヒットを記録します。
フジコさんから大人世代の女性たちへ伝えたいことは、「いつ男性に口説かれてもいいように、おしゃれしてきれいにしていてください(笑)。
私はもうダメだなんて思わないで、大丈夫だから。それは人生も同じ。私が一夜にして有名になったのは60代のこと。何かの力が働いて、扉が開くタイミングがある。遅すぎることはないので、いつでも準備していてほしい」
インタビューのあと、ピアノの前で撮影していたときでした。
鍵盤に手がふれたかと思うと、部屋中の空気が震え、ピアノの生音が響きます。
やがてフジコさんの代表曲『ラ・カンパネラ』のイントロが聴こえてきました。
「私のピアノを聴いて感涙する人がいるのは、これまでの数奇な人生が音にのっているせいなのかも」 フジコ・ヘミングさんのピアノが、聴く人たちの心を打つ秘密が少しだけ分かりました。
窓辺に並んだ七色のガラス瓶は、あつらえたオブジェのよう。
「きれいでしょう? これは20年ぐらい前に100円ショップで買ったの。少しずつ何度も並びかえてようやく今のカタチに」。
値のつけられない骨董品と名もなきガラス瓶も、フジコさんの美意識で定位置が決まる。
「家も作品」というフジコさんの自宅の壁には、額装された自作の絵がそこかしこに。父や叔母の絵も。
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